2026-08-30 コメント投稿する ▼
非核三原則の現実的検討を維新・阿部氏が提起、核抑止との両立を議論へ
唯一の戦争被爆国として、日本は長年「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を掲げてきました。 日本維新の会の阿部圭史衆院議員は、核軍縮と核抑止は二項対立ではないとし、日本の安全保障環境を踏まえた上で非核三原則、特に「持ち込ませず」の原則について現実的な検討が必要だと訴えています。
非核三原則の歴史と現代的課題
非核三原則は、1967年に佐藤栄作元首相が国会で表明して以来、歴代政権が「国の基本政策」として堅持してきました。これは、唯一の戦争被爆国としての倫理的な立場や、平和国家としての歩みを象徴するものとして、国民の間に広く浸透しています。しかし、その運用においては、長年にわたり「持ち込まない」ことと、日米安全保障条約に基づく「有事における米軍の核兵器の事前協議」との間で、政府として明確な答弁を避ける運用がなされてきました。
近年、国際社会における核兵器使用のリスクが高まる中で、この非核三原則の「現実」との乖離が指摘されています。特に、中国や北朝鮮による核・ミサイル開発の急速な進展や、ロシアによるウクライナ侵攻における核による威嚇は、日本の安全保障環境を根底から揺るがす事態と言えるでしょう。このような状況下で、阿部議員は「国際標準のリアリズムが欠けている」と、日本の安全保障論議に警鐘を鳴らしています。
国際情勢の緊迫化と日本の安全保障
阿部議員が安全保障上の課題として挙げるのは、国際情勢の厳しさです。中国は軍事費を増大させ、海洋進出を活発化させるとともに、核戦力も増強しています。北朝鮮は度重なるミサイル発射実験を繰り返し、核兵器開発を継続しています。さらに、ロシアによるウクライナ侵攻では、核兵器による威嚇という、あってはならない事態が発生しました。
これらの脅威に対し、日本は国家安全保障戦略などの安保3文書を改定し、防衛力の抜本的強化を進めています。しかし、阿部議員は、こうした動きが「脅威認識を踏まえた論理的な帰結」であるとしつつも、根本的な議論が不足していると指摘します。例えば、米国がイランの核開発を阻止するために攻撃に踏み切った事例や、ロシアが核の威嚇によってウクライナ侵攻を推し進めた現実を踏まえれば、核戦略を「タブー」として議論しないことこそ、国家の生存と国民の安全を守る上で「おかしい」と主張しています。
核抑止と非核三原則のジレンマ
阿部議員は、核軍縮と核抑止は本来対立するものではないと説きます。核抑止とは、相手国が核兵器を使用すれば、自国も壊滅的な報復を受けるという恐怖によって、相手国の核使用や侵略を思いとどまらせる考え方です。この核抑止力に、日本は長年、米国の「核の傘」に依存してきました。
しかし、非核三原則の「持ち込ませず」を厳格に守ろうとすれば、有事の際に米軍が核兵器を日本国内に持ち込むことが事実上できなくなる可能性が出てきます。そうなれば、米国の核抑止力そのものを弱めかねず、日本の安全保障にとってマイナスになりかねません。阿部議員は、このジレンマに対し、非核三原則、特に「持ち込ませず」の原則について、現実の安全保障環境に照らして「現実的検討」を行うべきだと提言しています。この現実的検討の帰結として、阿部議員は、脅威認識に基づき、将来的な選択肢として原子力潜水艦の導入などにも言及しています。
リアリズムに基づく安保論議の必要性
阿部議員は、日本の安全保障論議には「政治思想に左右されず、国家の生存を保ち、国民を守れるかどうか以外の判断軸はない」と断言します。まさに、国際関係における「リアリズム」の視点が不可欠だというのです。核兵器という究極の抑止力を持つ国々と対峙する中で、理想論や感情論だけで安全保障政策を構築することは、国民の生命と財産を守る責務を放棄することになりかねません。
核軍縮という目標は重要であり、唯一の戦争被爆国として日本がその国際的な努力を主導することは意義深いでしょう。しかし、それは現実の核抑止力によってもたらされる平和を維持しつつ、段階的に達成されるべきものです。核兵器廃絶を目指す努力と、現状の核抑止力に依存せざるを得ない現実との間には、大きな隔たりが存在します。阿部議員の提言は、この隔たりを直視し、日本が取るべき現実的な道筋を冷静に探ろうとする試みと言えるのではないでしょうか。安保3文書の改定が進む今、非核三原則を巡る議論は、国民全体で真剣に向き合うべき重要なテーマとなっています。