2026-07-19 コメント投稿する ▼
国民民主党「エロ広告規制法案」 音喜多氏、表現の自由への懸念を指摘
音喜多氏によると、法案はプラットフォーム上の「広告」を対象とするとしていますが、規制の基準となる「青少年有害情報」の定義が性的なものに限定されておらず、残虐な内容なども含まれるため、本来の意図を超えてミステリーやホラー作品の広告までも規制対象となりかねない懸念があります。
「表現の自由を守る」理念との乖離
国民民主党が提出した青少年インターネット環境整備法の改正案、通称「エロ広告規制法案」について、音喜多氏はその提出意図と条文内容に大きな乖離があると指摘しています。同党が掲げる「表現の自由を守る」という原則と、今回の法案が内包するリスクとの間にある落差が問題視されています。
法案の対象範囲と曖昧さ
音喜多氏によると、法案はプラットフォーム上の「広告」を対象とするとしていますが、規制の基準となる「青少年有害情報」の定義が性的なものに限定されておらず、残虐な内容なども含まれるため、本来の意図を超えてミステリーやホラー作品の広告までも規制対象となりかねない懸念があります。
国民民主党は、この法案が「エロ広告に特化した内容」であると説明していますが、音喜多氏は条文と照らし合わせると、その説明にはズレがあると指摘します。現行法の「青少年有害情報」という概念は、性的な情報だけでなく、殺人や処刑といった残虐な描写も含むとされており、今回の改正案はその定義をそのまま引き継いでいます。このため、法案の義務の対象は性的な広告に限定されず、ミステリーやホラー作品の広告も普通に射程に入ってくる可能性があるのです。もし性的な情報に特化したいのであれば、対象を限定する規定を設ければ済む話ですが、それがなされていない以上、「特化している」という説明は条文と矛盾すると音喜多氏は主張しています。
「準ずる程度」という曖昧な規定の危険性
特に問題視されているのは、法案第23条の7で定められている「青少年有害情報に準ずる程度に青少年の健全な成長を著しく阻害するおそれが大きいと認められる情報」への対応努力義務です。音喜多氏は、この「準ずる程度」に明確な定義がなく、判断基準も示されていないため、事業者に判断が丸投げされる状態であると指摘します。
このような基準の曖昧さの中で、「対応に努めよ」という努力義務が課され、その実施状況が年次公表されることになれば、事業者は「迷ったら落とす」という行動に走りやすいと音喜多氏は分析します。なぜなら、「どこまでやれば足りるのか」という基準の議論すら起きないまま、事業者は忖度によって自主規制を強めていく可能性が高いからです。これは、表現の自由を実質的に狭める「萎縮効果」を生むメカニズムであると、音喜多氏は警鐘を鳴らしています。
事実上の検閲につながる構造
さらに、音喜多氏は、改正案が規定する民間団体の位置づけにも着目しています。法案では、国や自治体が支援に努める民間団体のリストに、「プラットフォームの対応状況を第三者の立場で評価する団体」が追加されることになっています。音喜多氏は、これは認定制度ではなく、評価に法的な力を持たせる規定はないとしながらも、構造的に問題があると指摘します。
事業者は、基準の分からない努力義務を負い、対応状況を毎年公表しなければなりません。そこに、国が支援する「評価団体」による評価が加わることで、事業者は事実上、その評価団体の物差しに合わせざるを得なくなると分析します。法的な権限がないにもかかわらず、民間団体の判断が事実上の審査基準となり、誰も権限を与えていないのに権限が生まれてしまうという構造が生まれる危険性があるのです。さらに、行政処分と異なり、民間団体の評価には不服申立ての手続がないため、仮に不当な線引きがなされたとしても、争う場すらないという問題点を指摘しています。
広告規制が作品制作に与える影響
「対象は広告だけだから作品は無事だ」という整理も、実務を知れば楽観的すぎると音喜多氏は主張します。現代のコンテンツ産業において、広告は作品のオマケではなく、漫画アプリの広告が作中のコマであったり、ゲームのプレイ画面がそのまま広告になったりするなど、広告と作品が一体化している領域は少なくありません。
広告に出せない表現は、結果的に読者や視聴者に届かない表現になりかねません。何が「出せない」のかが、基準なき努力義務と民間団体の評価によって決まっていくならば、制作現場は最初から「広告に出せる絵」を逆算して描くようになり、規制の名宛人が広告であっても、萎縮するのは作品づくりの上流であると音喜多氏は指摘します。
議員立法による拙速な成立への警鐘
音喜多氏は、本法案が議員立法であることから、十分な実態調査や審議会、パブリックコメント、内閣法制局の審査といったプロセスを経ずに成立する危険性を指摘します。過去のAV新法のように、「子どもを守る」という名目で、検証なき善意の立法が拙速に成立し、後から改正することが困難になる「検証なき善意の立法」がいちばん厄介であると警鐘を鳴らしています。
子どもが意図せずアダルト広告を目にする問題は実在し、不断の対応は必要であるものの、だからこそ実態調査とヒアリングを経た閣法で、対象の範囲を条文上きちんと画定した上で実施すべきだと主張します。また、フィルタリングや年齢確認など、表現の自由を最も傷つけない技術的手段の検証が先決であることも強調しています。
表現の自由を守るとは、スローガンを唱えることではなく、規制を広げる余地のある条文を前にしたとき、その余地を一つひとつ潰していく地味な作業であると音喜多氏は述べ、今回の条文からはその作業の痕跡が見えないと残念がっています。条文は嘘をつかないとして、国民民主党に対し、本法案に対する一連の指摘を咀嚼し、撤回または修正などの対応をすることを求めています。