2025-04-26 コメント投稿する ▼
沖縄海洋博から学ぶ50年 新垣淑豊氏が振り返る「縮小開催と経済振興の出発点」
新垣氏は、沖縄海洋博について、「日本が沖縄の存在を国際社会に示すための国家的プロジェクトだった」と紹介。当初は1970年の大阪万博に続く大規模な国際博覧会を目指し、沖縄北部に巨大空港や高層ホテル群を整備する構想まで検討されていたといいます。
しかし、1973年のオイルショックで世界経済が冷え込み、日本政府は計画を縮小。沖縄県も大きな期待を寄せていただけに、縮小決定には落胆が広がったものの、「実現を優先する」という苦渋の選択をしたと、新垣氏は述べています。
それでも海洋博をきっかけに、国道58号線の改修や電力・水道インフラの整備、観光施設の建設が一気に進みました。中でも、海洋博に合わせて建設された水族館(後の沖縄美ら海水族館)は、沖縄の海洋生態系を国内外に発信する重要な拠点になりました。
一方で新垣氏は、博覧会の終了後、沖縄が直面した「海洋博ショック」と呼ばれる不況にも言及。建設特需と観光需要が急減し、過剰投資のツケとしてホテルの稼働率低迷や企業倒産、失業率の急上昇が沖縄経済を苦しめた現実を指摘しています。
ただ、新垣氏はこの苦い経験こそが、「沖縄に自立型経済の必要性を強く認識させるきっかけになった」とも強調。農業・水産業の振興、国際物流拠点の整備、持続可能な観光開発へと、沖縄の経済政策を大きく方向転換させる出発点になったとしています。
最後に新垣氏は、「沖縄海洋博は縮小と不況という苦い記憶を伴ったが、社会インフラ整備と経済振興の礎となった」と総括。そして現在開催中の大阪・関西万博にも、「日本全体の経済振興に寄与することを期待している」と、前向きな思いを述べています。