2025-04-19 コメント投稿する ▼
高校無償化は本当に平等か? 新垣淑豊氏が指摘する“見えない格差”と制度の盲点
無償化で本当に教育は平等になるのか?──新垣淑豊氏が提起する“見えざる課題”
2025年度から、高校授業料の無償化がいよいよ本格的に始まる。公立・私立を問わず、すべての世帯を対象に就学支援金が支給され、公立高校は事実上“タダ”に。私立高校でも、支援額は全国平均で年間45万7,000円にまで引き上げられるという。
政府はこの政策を「教育の機会均等の実現」と位置づけているが、本当にそうだろうか。沖縄県議会議員の新垣淑豊氏は、「むしろ逆だ」と冷静に警鐘を鳴らす。
“無償化”で増える出費?
新垣氏はまず、「授業料がタダになったところで、教育にかかるお金が減るわけではない」と指摘する。制服や通学費、修学旅行、部活動の遠征費、さらには受験に備えて塾や予備校に通う費用……。それらは無償化の対象外だ。
「授業料はタダでも、準備のための出費はむしろ増えている家庭もある。親の経済力によって教育格差がますます広がっているのが現実です」と、新垣氏は語る。
私学人気と“生徒の取り合い”
無償化を追い風に、私立高校への進学希望者は確実に増えている。新垣氏が危惧するのは、「私学の生徒争奪戦」だ。経営的に余裕のない学校が、生徒確保のために“とりあえず受け入れる”ようになれば、学力も適性も合わないまま入学し、結果的に中退や不適応が増えるのではないかと懸念する。
さらに、授業料の支払いがなくなれば、保護者と学校との距離も開きがちになる。「授業料を払っているという責任感が、家庭と学校をつないでいた部分もある」と新垣氏。とくに通信制の高校では、子どもの生活実態が見えづらくなるリスクがあるという。
制度の“ご都合主義”にメスを
支援額が学校によって違う今の仕組みにも、新垣氏は疑問を投げかける。「同じ高校生なのに、通う学校によって支援額が違うのはおかしい。家庭に一定額を支給して、どこに通うかは自由に選ばせるべきです」と、バウチャー制度の導入を提案する。
また、無償化の財源には当然ながら税金が使われる。「高校生のいる家庭だけが得をして、それ以外の人たちは損をするような政策でいいのか」。減税という形で国民全体に還元した方がよいのではという問いかけだ。
地方を見捨てることにならないか
地方と都市部の教育格差にも、新垣氏は強い危機感を抱いている。私立高校が集中する都市圏に若者が流出すれば、地方の公立高校はますます定員割れに拍車がかかる。
「高校進学を機に地元を離れ、そのまま戻ってこない。若者を育てるための教育が、結果的に地域を空洞化させる。そんな矛盾をどう考えるのか」と、新垣氏は問いかける。
外国人留学生に税金投入?
支援対象となる私立高校には、外国人留学生が多数在籍する学校もある。中国人留学生が大半を占め、校内の行事も中国式で行われているという私立校の実態に、新垣氏は「果たして日本の教育制度としてこれでいいのか」と疑問を投げる。
“学ばない自由”も認める社会へ
「高校・大学に進むのが当たり前」という風潮にも、新垣氏は一石を投じる。「学ばない自由や、進学しない選択も尊重されるべきだ」と語る。学歴に依存しないキャリア形成や、社会人の学び直し(リスキリング)を制度的に支えることこそ、本来の教育政策ではないか──そう訴えている。
人気取りで終わらせるな
教育無償化の理想は尊いが、「無償=平等」ではない。新垣氏は、教育の公平性、制度の持続可能性、地方への配慮、そして家庭の自由と責任といった観点から、政策をもっと深く掘り下げる必要があると主張する。
「教育は、ただ金を配ることで良くなるわけじゃない。手当の額だけで語るのではなく、現場と家庭に何が必要なのかを見極めた上で、制度をつくり直すべきだ」と、新垣氏は語気を強める。
短期的な人気取り政策に流されることなく、本当に必要な人に届く仕組みをつくれるか。教育政策の根幹が、いま問われている。