2025-07-08 コメント投稿する ▼
神谷宗幣氏「謝罪しない」発言の真意 沖縄戦の歴史は“日本軍=悪”だけでは語れない
神谷宗幣氏「日本軍が沖縄県民を殺したわけではない」発言の真意とは 偏った歴史観に一石
参政党代表の神谷宗幣氏が7月8日、青森市内での街頭演説で再び沖縄戦における歴史認識を語り、「日本軍が沖縄県民を殺したわけではない」とする発言を改めて主張した。5月に行った同様の発言に対して一部から謝罪と訂正を求められていたが、「一切しない」と明言。「本論は間違っていない」との立場を崩さず、戦争を“政治の道具”にしてきた偏った歴史観に異議を唱える形となった。
沖縄戦の実相は「二面性」こそ伝えるべき 神谷氏の指摘は妥当
神谷氏の主張は、日本軍の全てを否定する“自虐的な歴史観”への反発から来ている。演説では、「多くの沖縄県民が命を落としたのはアメリカ軍の無差別攻撃によるものであり、日本軍が県民を積極的に殺したという物語ばかりが流布されているが、それは歴史の一部に過ぎない」と強調した。
事実、沖縄戦では一部の日本兵がスパイ容疑などで住民に自決を促した、あるいは直接手を下したケースもあったとされるが、同時に、自らの命を顧みずに住民を守り、最後まで庇い続けた日本兵も数多くいた。神谷氏が訴えるのは、「加害」と「救助」の両面を正しく伝えるべきだという冷静でバランスの取れた視点だ。
「沖縄戦の全てを“悪”でまとめるのは違うと思う」
「日本兵に助けられた祖父の話を私は知ってる」
「一方の証言だけを正義にするのは偏向」
「政治家が本気で歴史を語れるのはむしろ健全」
「謝罪しないという姿勢、信念の表れで好感持てる」
謝罪拒否に込められた“歴史を多面的に見よ”という提言
「謝罪しない」という強い言葉は一見挑発的に聞こえるが、神谷氏の真意は「特定の視点だけを正しいとし、それ以外を排除する風潮」への警鐘だ。彼が指摘するように、「本土決戦の捨て石にされた沖縄」という語りは、事実の一側面ではあるが、それだけが沖縄戦の全てではない。
むしろ、神谷氏の発言は歴史の“全体像”を語ることの大切さを求めたものであり、「日本軍=悪」という極端なフレームに疑問を呈するものである。
「どちらか片方だけを“史実”とするのは、教育ではなく思想」
「沖縄で何があったかを、もっと丁寧に議論するべき」
「自国の兵士をここまで否定する国って他にある?」
戦争の語り方が問われる時代 神谷氏の“覚悟”ある発信
選挙期間中にもかかわらず、神谷氏がこうした難しいテーマに踏み込んだ背景には、戦争の記憶が政治的プロパガンダに利用され続けてきた現状への問題意識がある。教科書や報道が、事実の一面だけを切り取り、“加害と犠牲”という単純な図式で沖縄戦を描いてきたことへの強い疑問だ。
日本という国家が、国民と自国の歴史にどれだけ敬意を持てるかが、主権国家としての在り方にも関わる。その意味で、神谷氏の発言は単なる“保守的歴史観”ではなく、歴史を政治の正直な材料として正面から扱おうとする姿勢の表れといえる。
「この時代にこんな話をする政治家がいるのはむしろ希望」
「バッシングされても言うべきことを言う、その姿勢を評価する」
「参政党にはブレない軸があると思えた」