2025-10-30 コメント投稿する ▼
高市首相「現地妻」表現で池内沙織氏ら批判相次ぐ、トランプ対応で
10月28日に行われた日米首脳会談と関連行事での高市首相の振る舞いを「現地妻」という表現を使って指摘したことから、その言葉遣い自体への批判が相次いでいます。 高市首相への批判投稿の中で「現地妻」という表現を使用したことについて、池内氏の発言の是非をめぐる議論が展開されています。
高市首相の「女性蔑視」巡る異なる見解
共産党元衆院議員の池内沙織氏が2025年10月30日、訪日したトランプ米大統領に対する高市早苗首相の対応をめぐり、X(旧ツイッター)で批判の投稿を行いました。10月28日に行われた日米首脳会談と関連行事での高市首相の振る舞いを「現地妻」という表現を使って指摘したことから、その言葉遣い自体への批判が相次いでいます。
池内氏は、高市首相がトランプ大統領にエスコートされたり、横須賀米軍基地での視察でトランプ大統領から称賛された際に飛び跳ねるリアクションを見せたりしたシーンについて、「腰に手をまわされ満面の笑顔で受け入れる総理大臣の数々のシーン。苦しすぎて写真引用不可能」と表現しました。さらに、「日本が対米屈従権力であることに加え、女性差別を『ものともせず』のし上がった人物の悲しい姿。彼女個人の自己顕示欲の強さも痛々しい」と述べ、首相の外交姿勢を問題視しています。
一連の投稿の中で池内氏は、高市首相の振る舞いが日本の女性たちへの「裏切り」になると指摘。「女性差別を自らの出世のためのエンジンに変えて進むさまは、差別構造を強化しこそすれ、多くの女性にとっては困難軽減にはならない」と述べました。また、自民党に対しても「女性差別を改善するための桎梏(しっこく)となっている」と批判を展開しています。
「女性蔑視」と指摘される言葉選択
高市首相への批判投稿の中で「現地妻」という表現を使用したことについて、池内氏の発言の是非をめぐる議論が展開されています。自民党の渡辺友貴東京都杉並区議は「さすがに女性蔑視の度を過ぎてませんか」とコメント。また、性暴力被害者の会の代表でジャーナリストの郡司真子氏も「言葉の加害性を考えてください。女性蔑視に抗議します」と述べるなど、複数の人物から池内氏の言葉遣いそのものが女性への差別的表現であるとの批判が集まりました。
ネット上でも、「なぜここまで女性に対して差別的で汚い言葉での誹謗中傷をすることができるのか理解できない」「『現地妻』という女性だからこそ出てくる侮辱発言は女性であること自体を攻撃の材料にした性差別です」という厳しい声が相次ぎました。
このように、池内氏による首相批判の内容と、その批判に使われた言葉そのものが女性差別的ではないかという指摘が、分離されない形で議論となっています。
「フェミニストを名乗るなら、女性への誹謗中傷はダメではないか」
「対米屈従の問題と女性差別は分けるべき。言葉が汚すぎる」
「高市首相への批判は分かるが、他の女性を傷つける表現は許されない」
「女性同士で足の引っ張り合いをしている場合ではない」
「そもそも『現地妻』という概念が性差別的。それを使う側の問題」
日米首脳会談の外交評価が二分
10月28日の日米首脳会談をめぐっては、高市首相のトランプ大統領への対応について、評価が大きく分かれています。官邸側は会談を成功と位置づけており、高市首相は記者団に「幅広い分野での率直な議論を通じて大きな成果をあげられた。日米同盟をさらなる高みに引き上げられると確信した」と述べています。
会談では、日米関税合意の実施に関する文書と、重要鉱物やレアアース(希土類)分野での協力に関する文書が署名されました。トランプ大統領は会談で「日本は米国への大きな投資家」と述べ、トヨタ自動車による100億ドルを超える米国内工場建設計画が明かされるなど、経済的な成果も報告されています。
一方で、野党やメディアの一部からは高市首相の対応ぶりについて疑問が呈されています。立憲民主党の田島麻衣子参院議員は、高市首相がトランプ大統領に「腕組みエスコート」されたことについて「主催国のトップが来賓にエスコートされるのは『立場の逆転』」と指摘。さらに「身体接触の濃さは異常。対等な国家同士、公的場面ではあり得ません」とコメントしています。
政治的立場と表現の問題
今回の論争は、政策批判と個人への言葉遣いが複雑に絡み合った形で展開されています。池内氏は政治的な主張として日本の対米従属姿勢を問題視し、自民党の姿勢を批判しているとの立場です。しかし、その批判の過程で用いられた表現が、女性を貶める言葉として機能しているのではないかという指摘が相次ぎました。
フェミニズムを政治的立場の中核として掲げてきた池内氏だからこそ、この指摘は複雑な問題を提起しています。女性の政治家や社会的立場が取り上げられる際に、その外交スタイルや振る舞いについての批判が、結果として女性全体への差別的言説につながらないかどうかという課題です。高市首相の対米外交姿勢に対する政策批判と、性別に基づく言葉遣いの問題を、どのように区別して論じるかが、今後の政治的議論の精度を決める可能性があります。
池内氏は2014年の衆院選比例東京ブロックで当選し、1期務めた共産党議員です。小林多喜二の生きざまに感銘を受けて21歳で党に入党し、ジェンダー問題やフェミニズムを主要な政治課題として掲げてきました。今回の発言は、フェミニストを標榜する立場から高市首相の振る舞いを批判する意図であったとみられます。
しかし、女性を傷つける言語表現を用いることで、自らが掲げるフェミニズムの理念と矛盾していないかという疑問が、支持者の間からも生じています。女性議員や女性リーダーの外交姿勢を政策として批判することと、女性の身体や行動を性的な文脈で貶める言葉を使用することは、同じ次元で論じられるべき問題ではない、との指摘です。
また、議論の過程で浮き彫りになったのは、女性同士の評価や批評のあり方についての問題です。特に政治的立場や属する政党が異なる女性議員同士が、互いを評価する際に、性別を根拠にした言語表現が使われやすいという傾向があります。これが無自覚に女性全体への差別的な構造を強化していないか、という懸念が指摘されています。
表現の自由と社会的責任、そして女性同士の中で生じる批評と差別の線引きについて、今回の一連の議論を通じて、改めて問い直す必要があるという声も高まっています。政治的な主張の是非と、その表現方法の妥当性は、分離されるべき課題として認識することが、より建設的な政治的議論につながる可能性があります。