2025-06-30 コメント投稿する ▼
姫路市議・高見千咲氏に2度目の辞職勧告──SNS発信めぐり議会と激しく対立、条例も改正へ
“反省なし”と全会一致の辞職勧告
兵庫県姫路市議会は6月30日、高見千咲市議(30)に対し、2度目となる議員辞職勧告決議を全会一致で可決した(高見氏ら2名は退席)。理由は、昨秋の兵庫県知事選をめぐり、高見氏がSNS上で不適切な投稿を繰り返したこと、さらに警察から投稿削除を要請されるなど、事態を重く見た対応だ。
高見氏はその後、記者会見を開き「倫理審査会の報告書は稚拙でずさん。噓もある」と真っ向から批判。この発言が「議会に対する冒瀆だ」とされ、議会の品位と市民からの信頼を損なったとして、再度の辞職勧告に至った。
ただし、辞職勧告決議には法的拘束力はなく、高見氏は今後も議員活動を続ける意向を示している。
「議会全会一致って相当のことでは?」
「辞職勧告2回目って前代未聞では…」
「議会に喧嘩売ってどうするつもりなんだろ」
「SNSで何やらかしたのか、内容が気になる」
「法的拘束力がないならやりたい放題なのか」
「私は悪くない」──高見氏は反論続ける
議会の決議に対して高見氏は反省の色を見せず、「私の発言が問題とは思わない。むしろ不当な勧告こそが冒瀆では」と述べ、正面から反論した。
彼女の姿勢は一貫して「私は間違っていない」というものであり、市議会からの批判に対しても「圧力」「封じ込め」と受け止めている節がある。市民への説明責任よりも、議会との対立構造を際立たせる言動が続いており、その点が議会側の反発をさらに強めている。
とはいえ、問題の本質は「SNSでの発信行為そのもの」よりも、発言に対する責任感と、公職にある者としての振る舞いにある。
言論の自由はもちろん保障されるべきだが、公人がそれを振りかざし続けた時、どこに責任の線引きがあるのかが問われている。
SNS中傷の禁止を明文化──政治倫理条例改正へ
今回の事態を受けて、姫路市議会はSNSでの誹謗中傷などを明確に禁じる内容を含んだ政治倫理条例の改正案を可決した。背景には、高見氏の投稿やそれに起因する議会不信、さらに県政全体への波及など、混乱の拡大がある。
これまでの地方議会では、SNSの利用ガイドラインがあっても“自制に任せる”ことが多かった。しかし、個人が強力な発信力を持つ時代においては、表現の自由と議会人としての自制のバランスが崩れやすい。今回の条例改正は、そうした構造的な課題に対する初期的な対応策とも言える。
高見氏のような発信力を武器にした議員が登場する一方、地方政治に求められるのは「議論の質」であり「市民との信頼関係」であるはずだ。暴露的投稿や感情的反論が繰り返される政治空間は、市政に対する市民の信頼を蝕みかねない。
「議員のSNSにもルールが必要だと思う」
「好き放題に発信するだけなら、議員じゃなくてもいい」
「言論の自由は大事だけど、公人には責任もある」
「他人を攻撃して注目される政治はもういらない」
「SNSが政治家の武器にも凶器にもなる時代だね」
市民の信頼と政治の“品格”をどう守るか
今回の辞職勧告決議は、個人の言動に対する制裁としてだけでなく、「地方議会の威信」を守る意志表示でもあった。議員一人の発信が議会全体に波紋を及ぼし、それが市民の政治不信を招くなら、議会として黙認はできないという判断だ。
一方で、議員個人のSNS発信を制限しすぎると、言論封殺にもつながりかねない。このジレンマの中で、いま求められるのは「ルールの明文化」と「信頼される言葉の使い方」だろう。議員が発言で信頼を得ることも、信頼を失うこともできる時代。だからこそ、言葉に対する責任の重さを公人一人ひとりが自覚しなければならない。