2025-08-01 コメント投稿する ▼
小池百合子都知事、朝鮮人虐殺追悼文を9年連続で送らず 「全体に慰霊の気持ち」と説明
小池百合子都知事、9年連続で追悼文を送らず 朝鮮人虐殺式典に「全ての方々への慰霊」と説明
関東大震災から100年 都知事の追悼文送付は見送り続く
東京都の小池百合子知事は8月1日の定例記者会見で、1923年の関東大震災時に虐殺された朝鮮人らを悼む式典に対し、今年も追悼文を送付しない方針を明言した。不送付は2017年から9年連続となり、都知事としての姿勢が改めて問われている。
小池氏は「極度の混乱の下で犠牲になられた全ての方々に対して慰霊の気持ちを表してきた」と語り、特定の式典に文書を寄せない理由として「東京都慰霊協会の大法要にて包括的に哀悼の意を表している」と強調した。
しかし、9月1日に墨田区の都立横網町公園で毎年行われる「朝鮮人犠牲者追悼式典」では、歴代の都知事が追悼文を寄せてきた歴史がある。小池氏も初当選直後の2016年には追悼文を送っていたが、2017年以降は「包括的な慰霊を基本とする」という立場から取りやめている。
「なぜ送らない?一言の追悼がそんなに難しいのか」
「個別の慰霊を避けるのは、過去の事実を曖昧にしたいからでは」
「歴史をなかったことにする姿勢に見える」
「震災から100年、せめて節目に追悼文を出すべきだった」
「都民として恥ずかしい。事実に向き合う政治をしてほしい」
SNSでは、知事の判断に疑問を呈する声が数多く見られた。
「慰霊は全体で」 知事の立場変わらず
小池都知事はこれまでも一貫して、「震災によるあらゆる犠牲者を包括的に慰霊する」という姿勢を示しており、今回もその考え方を維持した形だ。「特定の式典に対してのみ追悼文を送ることはしない」との判断が、政治的・歴史的中立を保つためと説明されている。
だが、実行委員会側からは反発の声も強い。主催団体のひとつである日朝協会東京都連合会の宮川泰彦会長は、「小池氏は朝鮮人虐殺があったという歴史的事実を認めたくないのではないか」と批判。被害の記憶を風化させないためにも、都知事としての明確な追悼の意思表示が必要だと訴えている。
揺れる歴史認識と政治的姿勢
1923年の関東大震災の混乱の中で、流言飛語により多くの朝鮮人が殺害されたとされる事件は、国内外で今なお議論が続いている。自治体や教育現場では、史実として位置付けるべきか、資料の扱いをどうするかをめぐって見解が分かれる場面も少なくない。
特に東京都という首都を預かる自治体の長として、小池知事の判断は国内外に対して象徴的なメッセージとなる。公的立場の人物が追悼の意思を示すことには、単なる慰霊を超えた意味が伴うため、慎重な判断が求められる一方、「沈黙は容認」と受け止められる可能性も否定できない。
知事の責任と歴史への向き合い方
小池氏の説明には、「特定の人々への追悼ではなく、全体を慰霊することが都としての基本姿勢」との意図が見られる。しかし、犠牲者を「記録」として残し、「記憶」し続けるには、その存在を具体的に認識し続ける姿勢も求められる。
歴史的事実と政治的判断のバランスは難しい問題だが、都政のリーダーとしての立場であればこそ、過去に真摯に向き合う姿勢を明確にする責任がある。都民だけでなく、日本全体、さらには近隣諸国にも注視される問題であることを忘れてはならない。