2025-10-30 コメント: 1件 ▼
石破前首相「核禁条約参加すべきだった」 高市首相の保守路線に違和感、米政策転換を「不愉快」と批判
被爆80年の2025年に開かれた核兵器禁止条約第3回締約国会議に関して、オブザーバー参加の見送りは間違った判断だと振り返ったほか、公明党の連立離脱と維新との連立についても、自民党の保守路線への傾斜に「違和感」を表明。 さらにコメ増産政策の方針転換には「不愉快な話」と述べるなど、新政権への不満を隠さないインタビューとなりました。
核政策と被爆80年への思い
石破前首相は核禁条約への対応について、個人的な深刻な懸念を語りました。「今年は被爆80年。オブザーバーでもいいから参加すべきだと思っていた」とし、当時の政府内でも公明党の斉藤鉄夫代表と同じ思いを共有していたと述べています。ただし、米国に核抑止を依存する日本の現実と、核保有国が参加する核拡散防止条約(NPT)体制の実効性を考えると、「為政者としてやむを得ない選択だった」と複雑な心情を明かしました。
広島選出という背景が、核問題への向き合い方に深くかかわっています。石破前首相は「8月6日は私にとって特別な日。小学6年の時に見た広島の被爆の記録映像は一生忘れない」と、幼い時の衝撃を語ります。2025年の平和記念式典では、原爆歌人・正田篠枝の短歌「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」をスピーチに何度も書き直しながら取り入れたと述べ、核の悲惨さをこれほど端的に表した表現はないと評価しました。
「オブザーバーでも参加すべきだった。被爆者の思いを世界に示す責任がある」
「核抑止に依存しながらも、廃絶への道を示すバランスの難しさを感じていた」
連立相手の選択と自民党の方向性への懸念
石破前首相は、高市首相が公明党との連立を失い、維新の会を連立相手に選んだことへの違和感を明確に表出させました。「自民党が野党で苦しい時、一緒にやってくれた公明党を忘れたらいかん」と述べ、公明党との26年間にわたる関係の重要性を指摘。一方、維新について「新自由主義的」と特徴づけ、自民党政治が「いわゆる保守の路線へさらに傾くことにすごく違和感がある」と距離を置きました。
インタビュー中、石破前首相は穏健中道という自身の立場を強調。岸田元首相とは「穏健中道という立場を同じくし、政策を継承、発展させた」と述べ、その姿勢とは異なる方向に政権が進もうとしていることへの危機感をにじませています。今回の自民党総裁選では林芳正総務相と小泉進次郎防衛相を応援したとし、石破政権の継続を求めていたことを明かしました。
「石破政権の継続性を求めていたが、別の道が選ばれた」
「ドロ船連立とも言える自維連立は、この先どう機能するのか」
米政策の転換を巡る対立
もっとも詳しく語られたのは、コメ政策の方針転換についてです。石破前首相は自身が打ち出した増産方針を転換させる政府の判断に、明らかな不快感を示しました。「不愉快な話だ」と述べた上で、政府がコメが足りないという現実を証明したにもかかわらず、「値段が下がるのはいかんので増産はやめ」という方針転換は理に合わないと指摘しています。
石破前首相のコメ政策は、2024年から2025年にかけての米価高騰を受けて7月に立案されたものです。当時のスーパーの平均価格は高止まりしており、安定供給の必要性から2025年産米からの増産を掲げました。政府備蓄米の随意契約販売を進めるなど、価格安定と供給確保の両立を目指した政策でした。
「米が足りないのは証明されたようなもの。値段が下がるのはいかんという判断も理解できないわけではないが」
「消費者が常に求められる値段でコメが手に入るべきだ。増産をやめるというのは違う」
一連の発言は、新政権との基本的な政策姿勢の相違を明示するものとなっており、自民党内の路線対立の深さを浮き彫りにしています。被爆地の選出議員として平和外交を重視し、穏健派の立場から保守強硬派への転換に疑問を呈する石破前首相の立ち位置は、今後の自民党内の議論を左右する可能性があります。