2025-06-09 コメント投稿する ▼
小泉進次郎農水相に立ちはだかるJAと農水省の壁 米価改革に潜む“農政利権”の構図
「コメ改革」に挑む小泉進次郎農水相
小泉進次郎農林水産大臣のもとで、日本の米政策が大きな転換点を迎えている。これまでの農政は、コメ価格の安定を大義名分に、備蓄米の買い上げや減反政策、補助金による価格維持に依存してきた。しかし、コメ価格は現在高止まりしており、消費者の負担は増す一方だ。
この状況に小泉氏は正面から切り込んだ。備蓄米を直接スーパーなど小売に販売し、流通効率を高めて米価を下げようと試みた。買い戻し要件の撤廃も、従来の“米価を下げさせない”仕組みに対する明確な対抗策だった。さらに、米不足が続いた場合には輸入拡大も辞さない構えを示している。
この姿勢には多くの消費者から支持の声があがっている。
「米価を下げようとしているのは小泉氏だけじゃないか?」
「備蓄米を店頭に出すのは当たり前。なぜ今までやらなかったのか」
「輸入に反対する農政族は、国民生活を見てない」
「何年も古いコメを食べさせられるのはイヤだ」
「この調子で農政利権をぶっ壊してほしい」
しかし、小泉氏の改革には目に見えぬ大きな壁がある。それが、農水省官僚とJA(農協)の“農政トライアングル”だ。
備蓄米と卸流通の利権構造
米価が高騰するなかで、大手卸売業者の営業利益が前年比で500%増という異例の数字が報じられたことが話題になった。これを受けて農水省は、コメの高騰の原因を流通にあると示唆。いわく、「五次問屋」まで存在し、中間マージンが価格を押し上げているという主張だ。
だが、これは果たして事実だろうか。実態を分析すれば、卸業者が前年に安価で仕入れた在庫を、価格が上昇した今の市場で販売する「先入れ先出し」方式によって利益が一時的に大きくなっているだけで、長期的には常に利益を確保できるわけではない。逆に価格が下がれば、仕入れコストとのギャップで損失が発生する。
「利益が出るのは当たり前。先に安く買ってたんだから」
「農水省の流通批判は責任転嫁にしか見えない」
「五次問屋なんて見たことない」
「コメの値段が上がった理由をちゃんと説明しろ」
「市場原理に従っただけで悪者扱いされるのはおかしい」
コメの値段が急上昇した背景には、JA農協が農家から高価格で仕入れているという事実もある。令和5年産のコメは60kgあたり1万5000円台で取引されていたが、現在は2万7000円と8割近く上昇している。小売価格も5kgあたり2500円から4200円へと高騰。こうした価格構造のなかで「卸売業者が暴利をむさぼっている」という農水省の論法は、的を射ているとは言い難い。
「収入保険」は農政の後退か
もうひとつ注目すべきなのは、小泉農水相が提唱する「収入保険」による補塡策だ。この制度は、価格が下落したときに青色申告をしている農家の収入を政府が補うもので、実質的にはすべての農家が対象になり得る。
だが、これではコストの高い零細な兼業農家の温存につながり、農業の効率化や規模拡大を阻む結果となる。改革派からは「小規模農家を守るためのバラマキ政策だ」との批判も出ている。
本来であれば、米価下落時の対策としては、面積や生産量に応じて主業農家に限定して交付金を支給する「直接支払い」のほうが合理的だ。地代負担能力の高い主業農家に土地が集まり、生産コストの削減と農業の集約化が進む。これは消費者にも価格低下という恩恵をもたらす「三方よし」の政策であり、減税志向とも合致する。
一方の収入保険は、減反政策の温存と変わらず、財政負担が膨らむだけでなく、構造改革にブレーキをかける施策である。
改革派に立ちはだかる“農政トライアングル”
こうした小泉氏の改革的提案に対し、農水省幹部やJA農協、そして農林族議員が「静かな逆襲」に出ているという見方がある。かつての“農政ムラ”と呼ばれた構造が、いまだ根強く残っているのだ。
小泉氏の背後には明確な政策ブレーンが見当たらず、独自に突っ走っている印象も否めない。その隙をついて農水省幹部が野村哲郎前農水相を通じて不満を訴えたとも言われている。農水省幹部は「政策を作る能力はないが、政治工作には長けている」とまで言われる。
「農水省はいつもそう。改革に見せかけて結局バラマキに戻す」
「JAと農水省が組めば、どんな改革も骨抜きにされる」
「小泉大臣、応援してる。今度こそ農政利権を壊してくれ」
「収入保険って聞こえはいいけど、実態は減反と同じ」
「農政に必要なのは改革、そして減税による成長戦略」
日本の農政が変わるには、農水省やJAの既得権を打破し、「減反・補助金」の負の連鎖から脱却する必要がある。小泉進次郎氏が本当にその旗手となれるのか。鍵を握るのは、国民が真実を見抜き、改革を支えるかどうかにかかっている。今後も“農政トライアングル”との戦いは続くが、ここが正念場である。