2025-12-01 コメント投稿する ▼
大和市の白紙委任条例案、石田ゆたか市議が「違法」と警鐘。子どもの安全は守られるか
地方自治法第14条では、住民の権利義務に関わる事項は条例で定めるよう規定しており、今回の案はこの趣旨に反する可能性が指摘されています。 判決では、住民の権利を制限する可能性がある事柄については、行政に白紙委任するのではなく、条例で明確な基準を定める必要があると示されています。
この条例案は、保育所に通っていない乳幼児などを預かる「誰でも通園制度」の運営に関するものです。議会からは「行政の暴走を招きかねない」「議会の存在意義を否定するものだ」と強い懸念の声が上がっています。
危険な「白紙委任」の構造
問題となっているのは、2025年12月議会に大和市当局が提出した条例案です。
この案は、2026年度から全国で本格的に始まる「こども誰でも通園制度」の市独自の基準を定めるものです。制度の対象には、特に配慮が必要な乳幼児や障害を持つ児童も含まれます。
しかし、子どもの命と安全に直結する施設の最低基準や人員配置、運営ルールといった最も重要な部分が、条例の条文には一切書かれていません。
すべての具体的な基準は「規則で定める」とされており、これは議会の議決を必要とせず、市長以下の行政組織の判断だけで内容を決定・変更できることを意味します。
この手法は「白紙委任」と呼ばれ、議会による行政のチェック機能を形骸化させる危険性をはらんでいます。
大和市議会議員の石田ゆたか氏は、この条例案について「住民の安全に関わる基準が、議会審議なしで書き換え放題になる。行政の暴走であり、議会の職務放棄だ」と強く批判しています。
地方自治法第14条では、住民の権利義務に関わる事項は条例で定めるよう規定しており、今回の案はこの趣旨に反する可能性が指摘されています。
最高裁判例が示す違法性
行政への「白紙委任」は、過去の最高裁判所の判例で繰り返し違法性が指摘されてきました。
例えば、1975年の「福岡県青少年保護育成条例事件」の最高裁判決では、何が「有害図書」にあたるかの基準が曖昧で、行政委員会の判断に委ねられていた点について、憲法に反し違法であると判断されました。
判決では、住民の権利を制限する可能性がある事柄については、行政に白紙委任するのではなく、条例で明確な基準を定める必要があると示されています。
また、2002年の「博多駅商業ビル事件」の最高裁判決でも、条例が詳細を規則に委任する範囲が広すぎ、実質的に白紙委任となっている点を問題視しました。
これらの判例は、住民の権利や安全に関わる重要事項は、市民の代表である議会が「条例」という形で明確に定めるべきであり、行政への丸投げは許されないという原則を確立しています。
今回の大和市の条例案は、まさに子どもの安全という根幹部分の基準をすべて「規則」に委ねており、最高裁が違法とした典型的な構造に酷似しているとの批判が出ています。
問われる議会の役割と市民の声
この問題は、SNS上でも多くの市民の関心を集めています。
「子どもの安全基準を行政が勝手に変えられるなんて怖すぎる。」
「議会は何のためにあるの?ちゃんと仕事してほしい。」
「うちの市は大丈夫かな。他人事じゃない問題だと思う。」
「誰でも通園制度は良いことだと思うけど、安全が担保されないなら意味がない。」
「こういう大事なことがあまり報道されないのが問題だよね。」
「誰でも通園制度」は、保護者の就労状況にかかわらず子どもを預けられるようにし、孤立しがちな子育て家庭を支援する重要な施策です。
しかし、その土台となるべき安全基準が行政の都合で引き下げられるようなことがあれば、制度そのものの信頼が揺らぎかねません。
石田市議は「この条例には2歳以下の子どもの命や安全がかかっている」と危機感を表明し、議会で条例案の修正や否決を目指す考えを示しています。
同時に、市民に対しても「こんなのおかしいと声を上げれば変えられるはず」と呼びかけ、関心を持つよう訴えています。
行政が提案し、議会が審議・決定するという「二元代表制」は地方自治の根幹です。議会が行政に対するチェック機能を果たせるのか、その真価が問われる事態となっています。
今後の議会審議の行方が、全国の自治体からも注目されることになりそうです。