2025-10-05 コメント投稿する ▼
「自民党批判を共産党に置換しても通る?」─志位和夫の言葉が突きつける自己批判論
この置換可能性が示すのは、志位氏の主張が「既成政党を根本から問い直す」構図を前提にしており、理論的には自らを含む全政党・政治体制に適用可能な批判構造である、という逆説的な視点です。 この視点を認めれば、志位氏が自民党批判を強調するほどに、「共産党自身にも同様の批判が及ぶ可能性」が暗に提示されているとも言えます。
「何ら期待することはない」発言の置換可能性
志位和夫氏がX(旧Twitter)で述べた言葉──
何ら期待することはない。自民党政治を終わらせていく以外に行き詰まった状況を打開することはできない
──この断言は、自民党政治に対する強い否定と政権交代の呼びかけを込めたものです。
しかし、この主張の構文をそのまま「日本共産党」に置き換えても文意として成立します。
すなわち、
何ら期待することはない。日本共産党政治を終わらせていく以外に行き詰まった状況を打開することはできない
という言い方でも、同じ論理構造を保つことができます。
この置換可能性が示すのは、志位氏の主張が「既成政党を根本から問い直す」構図を前提にしており、理論的には自らを含む全政党・政治体制に適用可能な批判構造である、という逆説的な視点です。
この視点を認めれば、志位氏が自民党批判を強調するほどに、「共産党自身にも同様の批判が及ぶ可能性」が暗に提示されているとも言えます。
批判可能性を含む主張の強さと脆さ
では、なぜ志位氏はこれほど強い言い方を用いるのか。
ひとつには、有権者に鮮明な対立軸を示したいという意図があります。参議院選挙を控え、「既存政治を変える」を前面に出すことは、支持を拡大しうる訴求力を持ちます。実際、志位氏は党大会や演説で繰り返し「自民党政治を終わらせる展望を開く選挙」といった言葉を用しており、徹底した対決軸を構築しようとしています。
しかし同時に、批判対象を限定せず、置換可能性を孕む強い構文を使うことは「自らにも同じ論理が適用されうる」ことを覚悟する発言でもあります。支持基盤は強化される一方で、野党協調を重んじる層や中道層には「排他的/極端な主張」に映るリスクもあります。
また、批判を浴びやすいのは、共産党自身の組織運営や指導体制、意思決定プロセスといった内部運営の在り方です。かつて共産党内部から党の「民主集中制」や長期指導者の権力集中を批判される動きもありました。
この点を踏まえると、志位氏のような強い主張を掲げるにあたっては、自党内部の開かれた議論・組織改革も同時にセットで進めていく必要があります。
置換批判を踏まえた読み直しと今後の課題
この置換見方を前提にすれば、志位氏の発言は「ある政党を徹底批判するスタンス」そのものを抜き出し、それを「どの政党にも通じる批判構造」として提起しているようにも読み取れます。
つまり、志位氏は自民党批判を前面にしながらも、その言葉の構造を“普遍性をもつ批判の型”として使っている可能性があります。これが狙いだとすれば、彼の主張は単なる政権批判を超えて、「既存政治全体に立ち向かう構え」を示す試みだと言えるでしょう。
ただし、読者・有権者の立場から見ると、その構えは言葉だけで終わっては説得力が弱くなります。実際の政策提示、内部改革の透明性、他野党との協調可能性の示唆がなければ、批判は空語になりかねません。
その意味で、この記事で問いたいのは次のような点です。
* 志位氏の「何ら期待できない」という主張は、己にも跳ね返る可能性を含んでいる
* それを真っ向から受け止め、批判・検証する勢力が共産党外部にだけでなく、党内部にも存在すべきである
* 志位氏・共産党は、その批判を力に変える施策と対話姿勢を示すことが、主張の信憑性を支える鍵だ