鷲尾英一郎氏が浪人生活語る「正直もうお金が続かなかった」公認会計士の資格で事務所維持

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鷲尾英一郎氏が浪人生活語る「正直もうお金が続かなかった」公認会計士の資格で事務所維持

2005年の初当選以来、6期連続で当選してきた鷲尾氏ですが、2024年10月の衆院選では初めて落選の苦杯をなめました。 1年3カ月の浪人生活を過ごし、公認会計士の資格を生かして事務所を維持する苦悩の日々について、鷲尾氏が赤裸々に語りました。 しかし2024年10月の衆院選では、2005年に初当選を果たして以来、6期連続で当選してきた鷲尾氏が初めての落選を経験しました。

2026年2月8日に行われた衆院選で新潟4区から出馬し、7期目の当選を果たした自民党の鷲尾英一郎氏(49)。2005年の初当選以来、6期連続で当選してきた鷲尾氏ですが、2024年10月の衆院選では初めて落選の苦杯をなめました。1年3カ月の浪人生活を過ごし、公認会計士の資格を生かして事務所を維持する苦悩の日々について、鷲尾氏が赤裸々に語りました。

鷲尾氏は新潟県長岡市の事務所で、当選を祝う多くの花束に囲まれながら取材に応じました。真冬の選挙戦は、訴えを広げることの難しさを感じながらの戦いだったと振り返ります。

真冬の選挙戦の難しさ


「街頭演説会が本当に数少なかった。夜の個人演説会に至っては1回だけだったかと思う。通常の選挙だと街頭演説会は100回近く、夜の個人演説会も50から60回はやるが、それが全くない。どうやって訴えを有権者の皆さんに届けるかというところが非常に苦しかった」

大雪を考慮し、街頭演説や個人演説会を極力行わない方針を徹底しました。長岡市で唯一開いた演説会が投票3日前の2月5日の総決起大会で、1800人(主催者発表)が集まりました。ある参加者は「鷲尾さんをずっと支持してきたわけではないが、話を聞いて、必死さが伝わってきた」と話しています。

「正直、もうお金が続かなかった。限界の時に解散になった」
「事務所としても『これ以上は難しい』と考え始めた矢先の選挙だったので、救われた」
「20年目にして初めて公認会計士の資格が別の意味で役に立った」
「落選経験とはこういうものだと認識したこと。分からないものは怖い」
「そうしたものを生かしながら落選を乗り切れたという経験そのものが大きい」

初めての落選に「あまりにもショック」


それでも、高市早苗首相の人気を追い風に特に無党派層で中道改革連合の米山隆一氏を引き離しました。新潟4区の開票結果は、鷲尾英一郎氏が10万7128票、米山隆一氏が6万2446票でした。投票が締め切られた午後8時にすぐに当確の一報が流れ、会場は「早い」「やったぞ」とやんやの喝采となりました。

しかし2024年10月の衆院選では、2005年に初当選を果たして以来、6期連続で当選してきた鷲尾氏が初めての落選を経験しました。想像以上にショックが大きかったと話します。

「あまりにもショックで、落選当初は自分がどういう状況にあるのか客観視できず、記憶が曖昧なところもある。これまでは『有権者の皆さんが漠然と自分のことを見てくれているだろう』という信頼感があった。厳しい選挙もなんとか当選させていただいていたから。しかし、前回の選挙でそれが完全に打ち砕かれた。新しい選挙区になったこともあるが、すごく切ない気持ちになった。そこからどうやって信頼を得ていくのかと気持ちを切り替えて前を向くまでには時間がかかった」

公認会計士の仕事で事務所を維持


落選のショックがある中でも、参院選が控えていたことから徐々に活動を再開させました。それでも、議員としての収入は断たれたため、秘書や事務所を維持するのは簡単なことではありませんでした。

「私は公認会計士でもあるので、顧問先を増やすこと、これに尽きた。今も、選挙区外の上場企業の社外取締役をやっていて、正直に言うと東京に出稼ぎに行っている。地元に100パーセント注力したくても秘書も食べさせていかなければならない。自分自身で顧問先を増やして仕事をさせてもらったのと、支援者の方々から資金管理団体や政党支部に個人献金や企業献金をいただき、なんとか事務所を維持してきた」

鷲尾氏は1977年、新潟県新潟市生まれです。実家は魚屋で、祖父は珠算塾を経営していました。新潟県立新潟高等学校、東京大学経済学部を卒業後、2001年に新日本監査法人に入社しました。2005年に新日本監査法人を退社し、鷲尾英一郎公認会計士・税理士・行政書士事務所を開業しています。

それでも秘書を残したのは、人間関係を重視していたからだと明かします。ただ、1年が過ぎ、金銭的に厳しい状況は加速していました。

「正直、もうお金が続かなかった。限界の時に解散になった。事務所としても『これ以上は難しい』と考え始めた矢先の選挙だったので、救われた」

落選から得た収穫


公認会計士としての仕事と政治活動を両立する日々。それが結果となって表れたのが今回の衆院選でした。「もう落選経験はしたくない」と苦笑いを浮かべつつも、収穫がなかったわけではないといいます。

「一つは、落選経験とはこういうものだと認識したこと。これまで6期連続当選で、一度も落選経験がなかった。分からないものは怖い。落選したらどうなるんだろうという恐怖心があった。もちろん、公認会計士の資格があるので路頭に迷うことはないだろうと思って立候補したが、20年目にして初めてその資格が別の意味で役に立った。それ以上に大きいのは、そうしたものを生かしながら落選を乗り切れたという経験そのもの。落選とはどういうものかを理解できたことが大きい」

大臣ポストを見据える


今回の衆院選で新潟県内の5選挙区全て制した自民党の中で、鷲尾氏は当選回数が最多となります。一方で、新潟県選出の議員では、田中真紀子氏が当時の民主党政権で文部科学大臣を務めて以降、大臣を輩出できていません。鷲尾氏はこの任期での大臣ポストも見据えています。

「最初はやはり経済閣僚。農水とか国交とか。一番やってみたいのは官房長官だが、そこまではまだ時間がかかる。皆さんから当選させていただく限り、地元に一番貢献できるのは自分だと思っている。これだけの修羅場をくぐってきたので、政局を動かす点でも一日の長があるかと思う」

鷲尾氏は外務副大臣、農林水産大臣政務官、衆議院環境委員長を歴任してきました。民主党、民進党時代を経て、2019年3月に自民党へ入党しています。2020年9月には菅義偉内閣で外務副大臣に任命されました。

自民党が大勝し、政権運営の安定が見込まれる今、求められるのは何より結果です。物価高対策や農政など山積する課題にどう向き合い、成果を示せるのか。その実績こそが次の選挙での評価につながります。

鷲尾氏の浪人生活の経験は、政治家のリアルな姿を浮き彫りにしました。公認会計士という資格があったからこそ乗り切れた1年3カ月でしたが、多くの落選議員は同じような苦境に立たされています。政治家の生活実態と、選挙制度のあり方が改めて問われています。

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2026-03-05 09:46:32(植村)

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