2025-10-04 コメント: 1件 ▼
高市早苗「ワークライフバランス捨てる」発言に過剰反応 揚げ足報道が招くメディア不信の連鎖
一部のメディアはこの発言を「過労を強いる」「法律軽視だ」と批判的に取り上げ、世論をざわつかせている。ところが、今回のように発言の一部を切り取って批判の材料にする姿勢が続けば、政治家も国民も萎縮してしまう。 国民が求めているのは、感情的な批判ではなく、冷静な政策論争だ。
高市新総裁の「覚悟の言葉」を曲解するメディアの落とし穴
自民党の高市早苗総裁が2025年10月4日、総裁選に勝利した直後に「ワークライフバランスという言葉を捨てます。働いて働いて働いてまいります」と語った。この言葉は、党再建に向けた強い決意の表れだった。ところが、一部のメディアはこの発言を「過労を強いる」「法律軽視だ」と批判的に取り上げ、世論をざわつかせている。
政治家が全身全霊で職務に挑む決意を語っただけなのに、報道はまるで「働きすぎを奨励した」と誤解させるような見出しを並べた。これでは発言の本質が伝わらず、国民の判断をゆがめかねない。
「小泉押し」報道の反動か
今回の批判的な報道の背景には、総裁選で敗れた小泉派を応援していたメディアの心理が透けて見える。長年の政治取材で形成された「推し構図」から抜け出せず、勝者の高市氏に対して感情的な反発が起きているようにも見える。
高市氏は、派閥に頼らず地道に政策を訴え、保守層や中小企業経営者の信頼を得て勝利した。にもかかわらず、一部報道は敗者の主張を中心に「改革後退」「古い価値観」といった言葉を並べ、あたかも時代に逆行する人物のように描いている。だが、そうした報道姿勢こそが、国民の政治離れを加速させてきた最大の要因ではないだろうか。
揚げ足取り報道が国民を冷めさせる
政治報道の本来の目的は、権力の監視と政策の検証である。ところが、今回のように発言の一部を切り取って批判の材料にする姿勢が続けば、政治家も国民も萎縮してしまう。
「またあの局が高市叩き。もううんざりです」
「どんな発言でも悪意の方向に編集される」
「マスコミが自分の理想に合わない政治家を叩くだけ」
「政策よりワード狩り。国の未来なんて考えてない」
「だから誰も新聞もテレビも信じなくなったんですよ」
SNS上ではこのような声が相次いでいる。国民が求めているのは、感情的な批判ではなく、冷静な政策論争だ。報道が揚げ足取りに終始すれば、政治不信とメディア不信を同時に広げるだけである。
「働く覚悟」と「働かせる圧力」は違う
高市氏が語った「ワークライフバランスを捨てる」という言葉は、あくまで自身の姿勢を示したものであり、国民に過労を強いるものではない。彼女はこれまでも、地方創生、科学技術、防衛、エネルギー政策などで、現場に足を運びながら自らの信念を貫いてきた。
彼女が言いたかったのは「自ら限界まで努力する」という意思表明であって、「他人に犠牲を求める」という意味ではない。そこを理解せずに「法律軽視」「過労死容認」と決めつけるのは、公平な報道とは言えない。
むしろ、日本社会では働くことが悪のように扱われる風潮が広がっている。努力や責任感を「時代遅れ」と切り捨てる文化が続けば、国の競争力も衰える。高市氏の発言は、そうした空気に対する挑戦でもある。
国民が報道を見抜く時代へ
メディアが政治家の言葉をどう解釈し、どう伝えるかは、民主主義の質を左右する。しかし、特定の候補を持ち上げ、勝者を叩くような偏向が続けば、報道機関自身の信頼が崩れる。国民はもはや、見出しやニュース番組のトーンだけでは騙されない。
視聴者は、誰が公平に語り、誰が印象操作しているかを見抜いている。報道が感情的な対立を煽るたびに、冷静な国民はテレビから離れ、新聞を閉じてしまう。
今、必要なのは「正確さ」と「誠実さ」である。政治家の覚悟を叩くのではなく、政策の中身を問い、国の方向性を建設的に議論すべき時だ。メディアがその使命を忘れれば、自らの存在価値を失う。