2025-08-22 コメント投稿する ▼
南京大虐殺否定論に学術研究が突きつける現実 ラサール石井氏「論文を示せ」
ラサール石井氏、南京大虐殺否定論に反論
参院選で社民党から初当選したラサール石井氏が、桜井よしこ氏の「南京大虐殺はなかったことが証明済み」との発言に対して「証明された論文を示してほしい」と批判した。石井氏は「言ったもん勝ちではない」と指摘し、産経新聞がそのまま記事を出したことにも「新聞としての責任を放棄している」と訴えた。
日本政府はこれまでの見解で「南京事件」と表記し、日本軍の入城後に非戦闘員の殺害や略奪があったことは否定できないと明言している。ただし犠牲者数については「諸説あり」として特定を避けてきた。
政府と共同研究の立場
2006年に日中間で立ち上げられた共同歴史研究では、南京事件を「南京虐殺事件」と明記。日本軍による捕虜や市民への虐殺、強姦、略奪の存在が確認されている。犠牲者数は国際軍事裁判で20万人以上、南京戦犯裁判で30万人以上とされたが、日本側研究者は2万〜20万人と幅を持たせた推計を行っている。
国際的な学術研究の詳細
南京事件をめぐる学術研究は膨大だが、代表的な論文の主張は次のように整理できる。
* David Askew(2004年, Asia-Pacific Journal: Japan Focus)
南京事件研究の全体像を俯瞰するレビュー。事件を否定する立場を退けつつ、中国側の「30万人説」に批判的。犠牲者は数万人規模と結論づけるが、重要なのは数字ではなく史料に基づく冷静な分析だと主張。日本・中国・英語圏それぞれの研究を比較し、政治プロパガンダに左右されない実証研究の必要性を強調した。
* Daqing Yang(1999年, Holocaust and Genocide Studies)
南京事件をジェノサイド研究の一環として扱い、学術的にどう位置づけるかを考察。一次資料の偏り(日本軍の記録不足、中国側証言の扱い)や政治的圧力を問題視。犠牲者数は数万から30万と幅を持つが、研究者は数字の論争に陥らず、資料の信頼性を精査する姿勢が必要と説いた。
* Joshua A. Fogel(2000年, UC Press論文集)
研究史(ヒストリオグラフィー)を総括。「大虐殺派」「中間派」「虚構派」といった日本国内の対立を整理。学術はナショナリズムから自由であるべきと警鐘を鳴らし、事件の規模をめぐる議論は続くものの、虐殺の存在自体を否定する余地はないと強調。
* 笠原十九司(『歴史学研究』ほか)
中国側の埋葬記録、日本兵士の日記、外国人の証言(ジョン・ラーベ、マギー牧師ら)を総合。犠牲者は20万〜30万人規模と推定。虐殺や略奪、強姦は体系的・広範囲に行われたと主張し、戦後資料公開をもとにした実証研究を重視する学派の代表格。
* 吉田裕(『歴史学研究』1997年号など)
国際法違反の観点から整理。捕虜殺害や組織的強姦を含む行為が明確に国際法違反であると結論づけた。犠牲者数には議論の余地を認めつつ、大規模虐殺は動かせない事実だと断定。責任は現場兵士だけでなく上層部にまで及ぶと分析。
これらの研究はいずれも、犠牲者数の幅については差異があるが、「虐殺が存在した」という点では一致している。
言論と責任
桜井よしこ氏の「なかった」との断言は、学術研究が積み上げてきた実証的成果と整合しない。ラサール石井氏の「論文を示せ」という要求は、歴史認識をめぐる議論を感情論ではなく学術的根拠に基づかせるための当然の問いかけである。
「証拠を示さず『なかった』と言い切るのは危険」
「学術研究では虐殺があったことは否定されていない」
「南京事件を否定するのは国際社会で信用を失う」
「メディアが検証を怠るのは無責任」
「歴史を政治に利用するな」
SNS上でもこうした意見が多く、歴史認識をめぐる発言が国際的評価や日本の信用に直結することを懸念する声が広がっている。
南京事件をめぐる議論は数十年にわたり続いているが、主要な研究はいずれも虐殺の存在を認めている。犠牲者数には幅があるものの、事件を「なかった」とする立場は学術的に根拠を欠いている。ラサール石井氏の「証明された論文を示せ」という要求は、歴史を正しく検証し、政治的プロパガンダから切り離すための重要な視点だ。歴史認識を軽視した発言は、日本の国際的信用を傷つけることになりかねない。