2025-07-02 コメント投稿する ▼
田久保市長の“卒業証書”は何だったのか?除籍判明で浮かぶ経歴詐称疑惑と説明責任の欠如
田久保市長の“卒業証書”は何だったのか
涙の謝罪では終わらない「除籍」の衝撃
「卒業証書を見せた」は虚偽か錯覚か
経歴詐称疑惑、市民の信頼をどう取り戻すのか
「卒業証書」として見せた“あれ”の正体とは
静岡県伊東市の田久保真紀市長が、市議会や市民の前で提示した“卒業証書らしきもの”の正体が問われている。
市長は7月2日、自らの学歴を巡る疑惑について会見を開いた。きっかけは議会関係者の元に届いた「怪文書」だった。そこには〈田久保市長は東洋大学を卒業しておらず、除籍処分となっている〉との記載があり、市議や記者らの間で大きな波紋を呼んだ。
会見で田久保市長は「6月28日(土)に東洋大学の窓口に自身で足を運び、卒業証明書を申請したところ、卒業の記録がなく“除籍”と確認された」と説明した。しかし、それまで市議会で“卒業証書”とされた文書を提示していた事実との矛盾について記者から厳しい追及を受けた。
「議長や秘書課にちらっと見せて引っ込めた“あれ”は何だったのか」「本物ではなければ偽造ではないのか」という質問に対して、市長は明言を避け続け、「そのときは卒業証明になると思っていた」「何がどうなって除籍になっているのか、確認中」と繰り返すのみだった。
「見せた文書が“卒業証書”でなければ、信頼問題に直結する」
「卒業証書じゃなかったら何を見せたの?市民をバカにしてる」
「除籍なのに“卒業した”と見せたのは騙しとしか言いようがない」
「一瞬しか見せず、詳細を拒否した時点で怪しかった」
「今さら“知らなかった”では通用しない」
このような声が市民の間でも高まりつつある。
説明責任を果たさないまま“涙”に逃げる構図
記者から「何を見せたのか、どうして除籍なのに“卒業証書”を持っていたのか」と問われた際も、田久保市長は終始「私の認識では卒業証書だと思っていた」と答えるに留まった。
会見では、「大学名で票を得ようとした意識はまったくなかった」と述べ、涙ぐむ場面もあったが、記者からは「そういった感情の話ではなく、事実の説明を」と再三求められた。
市長は「除籍であることを認める」としつつも、「進退については明言を避ける」「怪文書への対応は調査中」と、今後の対応については曖昧なままだ。
除籍の事実と向き合わず、逃げる姿勢
問題の核心は、「除籍であること」をいつ知ったかではない。「卒業した」という“前提”で文書を提示し、市議会をはじめ有権者に印象づけた点にある。しかも、それを明確に否定せず、あいまいなまま押し通そうとする姿勢が、市民の信頼を大きく損ねている。
さらに市長は、文書を見せた場面について「自分の経歴が分かるものとして見せた」と説明。だが、記者は「卒業と書いてないなら、あたかも卒業したかのように見せる行為自体が問題ではないか」と指摘した。これに対しても「その認識はない」と言い張った。
記者の厳しい質問が続く中で、同席していた弁護士に何度も助言を求める場面も目立った。市長の口からは「確認中」「正確な情報がない」「推測で語れない」というフレーズが繰り返され、実質的な説明はなされなかった。
「知らなかった」では済まされない公人の資質
地方自治体の首長として、経歴の正確性は当然の責務である。仮に意図がなかったとしても、結果として誤った印象を市議会や市民に与えたことは看過できない。
そもそも公職選挙法で経歴詐称が直接的に罰せられないとしても、有権者に誤った情報を与える行為は、民主主義の根幹を揺るがす行為だ。しかも今回のケースでは、本人が自ら“卒業証書らしきもの”を提示しているのだから、「知らなかった」では済まない。
涙の演出に市民が納得するとは思えない。地方の一首長とはいえ、選ばれた立場にある者が、自己の経歴をあいまいにし、曖昧なまま逃げようとする姿勢は到底容認できるものではない。
今後は百条委員会の設置などで、真相究明が進む可能性があるが、田久保市長には、事実を包み隠さず説明し、市民に対して誠意ある謝罪と責任ある行動を示すことが求められている。