2025-11-30 コメント投稿する ▼
れいわ大石晃子氏“自民は戦争準備”発言は過剰 小林鷹之氏が反論
だが大石氏の発言は過剰であり、「戦争準備」という言葉による印象操作に近く、冷静な議論を妨げるものと評価すべきだ。 国民に誤解を与えかねない「戦争準備」という表現は、「非常に不適切」だと断じた。 だが「戦争準備」という文言は、それ自体が強い印象操作であり、視聴者・有権者の不安を必要以上に煽る危険性がある。 つまり、「戦争準備」という言葉で断定するには根拠が乏しい。
れいわ・大石氏の「自民が戦争準備」発言は過剰反応か小林鷹之氏の反論にみる現実認識の乖離
11月30日のNHK「日曜討論」で、れいわ新選組の大石晃子政策審議会長が、自由民主党(自民党)について「台湾を巡る有事に備えて戦争準備をしている」と発言し、波紋を広げた。これに対し、自民党の小林鷹之政務調査会長は「非常に不適切」と反論。さらに日本共産党の山添拓政策委員長も首相答弁を問題視しつつ、大石氏の言い方には苦笑を浮かべた。論戦の構図は「予防としての防衛力強化」対「過剰な戦争臭への懸念」という構図にある。だが大石氏の発言は過剰であり、「戦争準備」という言葉による印象操作に近く、冷静な議論を妨げるものと評価すべきだ。
日中関係と台湾有事で揺れる日本の安全保障論争
この日の討論で議題となったのは、高市早苗首相の、台湾有事に関する国会答弁の是非だ。高市首相は、台湾有事は「存立危機事態」に該当する可能性があり、自衛隊による対応の正当性を示唆した。これをめぐり、大石氏は「日本政府は米国に追随し、中国との戦争に備えている」と断言し、過去の経済依存やサプライチェーンの脆弱さを指摘して「外国に頼る社会の脆弱性を看過してはならない」と強く訴えた。彼女は現実の経済問題と安全保障論を結びつけ、「戦争準備」の言葉で政府批判を行った。
これに対し、小林氏は「われわれの目的は抑止であり、有事を誘発するための準備ではない」と反論。安全保障法制の整備や外交交渉、経済安全保障といった政府の取り組みを挙げ、「戦争目的ではない」「防衛と抑止こそ目的だ」と改めて主張した。国民に誤解を与えかねない「戦争準備」という表現は、「非常に不適切」だと断じた。
さらに山添氏も、戦争を望む者はいないという立場から、「首相答弁は『戦争になり得る』と宣言したものだ」と政府の言動を批判。一方で「れいわの過剰な言葉遣いには苦笑せざるをえない」と表情を崩した。現実問題として、台湾有事が日本の安全保障に直結するとの認識は共有されつつあるものの、言葉のトーンには慎重さが求められている。
大石氏の主張は過剰――言葉の重みと国民の安心の対比
政治家に対する批判や警鐘は重要だ。だが「戦争準備」という文言は、それ自体が強い印象操作であり、視聴者・有権者の不安を必要以上に煽る危険性がある。現政府が具体的に戦争に踏み切る準備を公言したわけではない。むしろ、防衛力強化や外交による抑止を目的としており、「有事を防ぐため」の備えだ。
日本は日中共同声明などを踏まえ、長年「一つの中国」政策を維持してきた。今回の高市首相の答弁は、その基本的立場を覆す表現とはされていない。つまり、「戦争準備」という言葉で断定するには根拠が乏しい。あえて挑発的な表現を使うことが、冷静な安全保障論議の妨げになる可能性が高い。
また、経済・サプライチェーンの脆弱さへの懸念は別の論点であり、安全保障議論と直結させるのは論理が乱暴と言わざるをえない。もし「中国依存の是正」「国内産業強化」が必要なら、それは地道な経済政策と産業振興によるべきだ。戦争リスクを誇張して注目を集める手法は、民主主義にとって健全とは言えない。
政治がやるべきは不安の煽動ではなく、現実的な政策論争
政治の場で最も重要なのは、感情的な言葉ではなく、冷静かつ現実に即した議論だ。今回のように、「戦争準備」というフレーズを使った批判は、たとえ警鐘としての側面があるとしても、慎重に扱うべき。
もちろん政府の安全保障政策には厳しい監視と議論が必要だ。だが、それは感情や誇張でなく、法的根拠・外交上の立ち位置・経済的影響など多角的に検証すべきだ。現在のような言葉の過剰さは、国民の不安を煽るだけでなく、議論の質を低下させる。
有権者としてふさわしいのは、メディアで語られる誇張表現に惑わされず、冷静に政府の行動と政策を見極めることだ。
SNSの声としては、
「大石さんの言う『戦争準備』って、少し言いすぎじゃない?政府も防衛のために動いてるだけでしょ」
「テレビでこの手の過剰発言見ると、いい加減にしてほしくなる」
「安全保障は大事だけど、感情で語るのはフェアじゃないと思う」
「日中関係は難しいけど、煽動するより慎重に話すべき」
「議論するなら、もう少し冷静な言葉でお願いしたい」
というような、批判的・懐疑的な反応が多いようだ。
政治家の発言が、ただのパフォーマンスになってはいけない。国民として、言葉の重みと現実の政策を見極める冷静さを持つことが求められている。