2025-07-07 コメント投稿する ▼
「女性天皇容認」から透ける女系容認論 山尾志桜里氏の演説に潜む皇統断絶のリスク
“女性天皇”を強調する山尾志桜里氏に潜む危うさ 皇室制度の核心が見えない演説
無所属で東京選挙区から参議院選に出馬した山尾志桜里氏が、7月6日、町田駅前で街頭演説を行い、演説全体の約4分の1を「女性天皇の容認」に費やした。皇室を「日本の土台」と呼びつつ、その伝統と連続性を危うくするような主張には、違和感と警戒の声が相次いでいる。
「女性天皇」を語りながら“女系容認”を匂わせる矛盾
山尾氏はこの日、「女性天皇はいてもいい」「そのお子様が継承しても構わない」と主張した。だが、ここでの「女性天皇」は過去の歴史にある“男系女性天皇”とは異なる意味合いを持つ。「女性天皇のお子様が天皇になってもいい」と述べた瞬間に、それはすでに“女系天皇の容認”を意味する。
これは、皇位の「男系による継承」という千年以上の歴史と一線を画す危険な主張であり、制度の根幹を揺るがしかねない。「伝統を守る」と口では言いながら、実際は「歴史の断絶」を提案しているようなものだ。
「“女性天皇”って言いながら女系を進めたいだけに見える」
「山尾さん、女系と女性の区別が曖昧すぎて危うい」
「皇室を守りたいなら、男系を守るのが筋」
「民意と言って皇室制度を政治の道具にするのは違う」
「制度変えて“皇統断絶”させたら後戻りできないよ」
“民意”を盾に皇統を政治利用?無所属出馬の背景にも疑問
山尾氏は演説で、「女性天皇を議論したら国民民主党から排除された」と述べ、国政政党との対立をアピールした。しかし、それは裏を返せば、明確に皇室の伝統を守る立場と袂を分かったということでもある。
そもそも、皇室制度は一政党の人気取りや“民意”という数値で左右されるべき問題ではない。皇位の正統性とは、国民の一時的な感情ではなく、連綿と続く歴史・伝統・宗教的意味合いに裏打ちされたものである。仮にその「血統の原則」を崩してしまえば、日本の国家体制の根本が揺らぎかねない。
「民意って言うけど、それで伝統壊すのはおかしい」
「女性差別じゃない。皇室のルールには理由がある」
「歴史の連続性が失われたら、それはもう皇室じゃない」
「選挙の争点にしていい話じゃないでしょ」
「女系を一歩認めたら、あとはもうなし崩しだよ」
女性天皇と女系天皇は別物 意図的に混同していないか?
山尾氏の演説は、「女性天皇」と「女系天皇」の違いを説明せず、両者を意図的に混同して語っているようにも聞こえる。これは、議論を曖昧にして支持を集める典型的な政治的手法だ。
過去に即位した8人の女性天皇はすべて男系であり、いずれも独身を貫き、皇統の中継ぎとしての役割に徹していた。女系天皇――つまり、母系による皇位継承は日本では一度も行われたことがない。それを「自然な流れ」として受け入れることは、歴史の改ざんであり、国体そのものの変質に繋がる。
皇室を守るなら「変える」より「継承する」努力を
皇室を支える制度を見直すにあたり、真っ先に考えるべきは「伝統の維持」だ。男系継承を守りつつ、例えば旧宮家の復帰や男系男子の拡大策を議論することが、制度改革の王道であるはずだ。
山尾氏の主張のように、「変えれば楽になる」という短絡的な議論は、現代的な“感情”を優先し、歴史と重みを軽視するものだ。政治家が皇室制度を軽々しく語る時、私たちはもっと警戒するべきだろう。