2025-07-01 コメント投稿する ▼
帰化候補者は排除されるべきか?徐浩予氏の投稿が問いかけた日本社会の本音
「帰化候補」発言が波紋──徐浩予氏の投稿が映す日本の政治と出自の壁
参院選を前に、SNS上で注目を集めているのが、活動家・徐浩予(じょ・こうよ)氏の発信だ。彼はX(旧Twitter)にて、出自に関わる発言とともに、特定の候補予定者へのエールを送った。
吉永アイさんも頑張ってください ヘイトスピーチや排外主義を負けないで
さらに、彼はこう続ける。
左と右の帰化候補予定者のみんな‼️
この発言は、単なる応援の枠を超え、日本の政治と社会に根深く存在する“出自”への視線に一石を投じるものだ。支持政党や思想の違いを超え、「帰化」という立場で政治の場に挑む者たちを並列で語ったこの一文は、今の日本社会が抱える課題を鋭く照らし出している。
「帰化」が意味するものとは
日本では、外国にルーツを持つ政治家が「帰化人」として紹介されることがあるが、これは往々にして本人の政策とは関係のない“攻撃材料”として使われてしまう。実際、保守派・リベラル派問わず、帰化歴のある候補者がSNSや街頭で「本当に日本の国益を守れるのか」といった疑念をぶつけられる場面は少なくない。
徐浩予氏自身も、もともと中国出身で日本に帰化した経験を持つ人物だ。かつては保守論客・石平氏を応援する姿勢を見せる一方、「偽装応援ではないか」との疑念を招いたこともある。今回の投稿も、その文脈を知る人々にとっては、彼なりの“アジテーション”ともとれる発信に映る。
差別や排外主義へのカウンター
徐氏は、単なる応援を超えて、社会的に孤立しがちな候補者への支援を呼びかけている。彼が言う「ヘイトスピーチや排外主義」は、候補者だけでなく、その支援者や家族までもを傷つける。SNS上では、帰化候補者に対して「帰れ」「信用できない」といった差別的言辞が日常的に飛び交う。これは民主主義社会において、極めて危うい兆候だ。
「左と右の帰化候補」を並列で扱う意味
「左と右の帰化候補予定者のみんな‼️」という表現には、既存のイデオロギー対立を超えて“帰化した者同士”が同じ地平に立っているという、ある種の連帯感が滲む。政治的スタンスの違いよりも、「出自を攻撃される」という共通の脅威の中で支え合おうというメッセージにも見える。
これは、思想的に真逆である吉永アイ氏のようなリベラル候補から、保守色の強い候補者までを対象にしている点で、従来の「味方/敵」の区分けをあえて崩している。支持の表明というより、「どんな思想でも出自を理由に排除してはならない」という社会への問題提起なのだ。
選挙のたびに問われる「日本人とは何か」
国籍を取得しても、「本当に日本人なのか」と問われ続ける――。これは帰化した候補者が直面する現実だ。今回の徐氏の投稿は、そうした社会のまなざしに対し、ストレートに物申すものとして捉えられている。
日本の有権者が今問われているのは、「この人の思想はどうか」ではなく、「この人は“本当に日本人か”」という不毛な問いをいつまで続けるのか、という問題だろう。
SNSで広がる政治的発信の意味
選挙が近づく中、こうした投稿が拡散されることで、有権者は候補者の政策だけでなく、その背景や置かれた立場に対する理解を深める機会にもなる。一方で、「帰化人」「外国系」といったレッテルが、差別の温床になっている現状も見逃せない。
徐浩予氏の今回の投稿は、賛否両論を巻き起こしつつ、日本の政治参加と“日本人らしさ”という概念に対する問いを突きつけている。