2025-10-26 コメント: 1件 ▼
ヤジは民主主義の破壊 石垣のりこ議員の持論は議会政治の否定
その後、同党の石垣のりこ参院議員が「ヤジは政府方針に疑義を感じる時、それを表明する表現の一つ」と主張したことに対し、ヤジは民主主義的な議論ではなく、むしろ国会という議論の場そのものを愚弄する行為であるという指摘が相次いでいます。 民主主義は国民の政治参加と判断の自由度に基づいています。
ヤジは民主主義ではなく議論の破壊行為 石垣のりこ議員の主張は本末転倒
2025年10月24日、高市早苗首相が初の所信表明演説を国会で行った際、立憲民主党の議員から相次いだヤジが大きな批判を招きました。その後、同党の石垣のりこ参院議員が「ヤジは政府方針に疑義を感じる時、それを表明する表現の一つ」と主張したことに対し、ヤジは民主主義的な議論ではなく、むしろ国会という議論の場そのものを愚弄する行為であるという指摘が相次いでいます。石垣氏の論理は、議会制民主主義の本質を見失った危険な言い分といえます。
高市首相の所信表明演説では、冒頭から「統一教会」「裏金問題」「暫定税率」といった政策課題に関するヤジが相次ぎました。立憲民主党の水沼秀幸氏や岡田悟氏とみられる議員が次々とヤジを連発し、演説内容がほぼ聞き取れない状態となりました。与党側から「静かにしろ」「聞こえないんだよ」という怒号も上がり、高市首相が演説を中断する場面さえ見られました。SNS上では「ヤジ議員」がトレンド入りするなど、国民から強い怒りの声が上がりました。テレビ中継を見ていた視聴者からは「子どもに見せられない」「日本の恥」「国民の知る権利が侵害されている」といった反発が殺到し、複数の議員の実名特定まで進みました。
「聞こえない。国民の知る権利を侵害されています」
「ヤジではなく妨害です。議論なき怒号は民主主義の破壊」
「所信表明を妨害するなら意見があるなら委員会で正面から議論すべき」
「国会議員なのに人の話を聞かない。大人として情けない」
「税金の無駄遣い。有意義な議論がしたいなら静かに聞いて質問時間に論じてほしい」
所信表明は政策説明の場 議論する場ではない
石垣氏は「国会は意見の違いを前提とした政治の場であり、議員は国民代表として政府方針に疑義や不満を感じる時、それを表明する責任がある。その表現の一つがヤジ」と述べています。しかし、この主張には根本的な誤りがあります。所信表明演説は首相が国家方針を表明する場であり、議論を交わす場ではありません。議論の場は予算委員会や本会議の質疑応答の時間です。もし野党が政策に対する疑義を持つのであれば、演説後の公式な質疑時間で正面から首相に質問を投げかけるべきです。
ヤジを連発し演説を妨害することは、国民に政策内容を正確に伝える権利を侵害する行為です。テレビ中継を通じて演説を聞こうとした国民は、ヤジのせいで首相の言葉を聞き取ることができませんでした。これは民主主義における「国民の知る権利」「聞く権利」という基本的人権の侵害に他なりません。石垣氏が「国民代表としての責任」を語るのであれば、逆に国民が首相の方針を理解する環境を守る責任もあるはずです。民主主義は国民の政治参加と判断の自由度に基づいています。その自由度を奪うヤジは、民主主義そのものへの背信行為なのです。
議論と妨害は別物 「議会の華」は時代遅れの言い訳
かつて「ヤジは議場の華」という言い方もありましたが、この表現は時代遅れで、民主主義を理解しない言い分です。ヤジが成立する条件は、相手の発言を十分に聞いたうえで、その内容に対する即座の反論を投げかけることです。相手の話の流れを理解し、その矛盾や問題点を指摘してこそ、ヤジは政治的な意味を持ちます。
しかし今回のヤジは、首相が何を述べようとしているのかさえ聞き取れない騒音と化していました。意味のあるヤジならば「それは違う。なぜなら…」という論理が含まれます。だが24日のヤジにはそうした思考がなく、単に相手の言葉を遮り、自分たちの主張だけを繰り返していました。これはヤジではなく、議論の場を奪う「妨害」です。
立憲民主党の小西洋之参院議員も「ヤジは非常に重要な国会議員の議会活動」と称賛していますが、意味のある反論ならば、委員会での質疑時間に堂々と首相と論争すればよいのです。所信表明のヤジで主張を表明できたと満足するのであれば、それは議会制民主主義の放棄であり、大衆的なパフォーマンスに堕しているという自認です。民主主義は「声の大きさ」で決まるのではなく、「論理の正当性」で競い合うものです。
国会の品格と国民の信頼が失われている
今回のヤジ騒動は単なる「議会の華」ではなく、国会全体の品格低下を象徴する事件です。日本維新の会の吉村洋文代表(大阪府知事)も「子供に見せられない。国会議員の定数大幅削減だよ」と苦言を呈しており、与野党を問わず、有権者の政治不信が増幅されています。
石垣氏が「理不尽やごまかしに対して声を上げることの価値」を説いているのであれば、その声を上げる場所と方法を誤っているという指摘に耳を傾けるべきです。国民は議論のない怒号ではなく、政策をめぐった質実な論争を求めています。ヤジを「表現の自由」「民主主義の実践」と美化することで、結果として国会機能の低下と国民の政治離れを招いているのです。
日本の議会制民主主義は、相互の尊重と論理的な議論に基づいています。ヤジは談話室の議論ではなく、国家方針を決める最高の舞台で演じられるべき行為ではありません。国会は国民のための政治の場であり、感情的な発散の場ではないのです。
 
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
                     
                     
                    