2025-07-06 コメント投稿する ▼
在留資格のない外国人は「非正規滞在」か「不法滞在」か? 山添拓議員の発言に賛否両論
在留資格のない外国人をどう呼ぶか 山添拓議員の主張と論点の整理
2025年7月6日、日本共産党の山添拓参議院議員が自身のX(旧Twitter)に投稿した内容が話題を呼んでいる。在留資格を持たない外国人について、「『不法』『違法』とことさら強調するのは悪質な印象操作だ」と述べ、社会全体の姿勢に疑問を投げかけた。
在留資格のない外国人は『非正規』滞在にすぎず、『不法』『違法』とことさら強調するのは悪質な印象操作。
この発言をめぐって、ネット上では賛否が分かれている。今回は山添氏の主張をもとに、現行法制度、社会の受け止め、そして今後の議論の焦点について詳しく見ていく。
山添氏の問題提起 “非正規滞在”という呼び方の背景
山添氏は、在留資格を失った外国人を「非正規滞在」と呼ぶべきだとする立場だ。これは「undocumented immigrants(書類のない移民)」という、比較的中立的な表現が海外で一般化していることを踏まえての主張である。強い言葉でレッテルを貼ることで、外国人に対する偏見や敵対感情を助長する恐れがある、というのがその論拠だ。
たしかに、言葉は印象を左右する。報道や政治発言の中で「不法外国人」「違法滞在者」と繰り返されると、個別の事情や人権に対する配慮が置き去りにされる危険性はある。
しかし、ここには重要な反論も存在する。
「印象操作」ではなく法的な事実 法治国家としての原則
現行の出入国管理法においては、在留資格がない状態で日本に滞在することは「不法残留」または「不法滞在」と明確に定義されている。これは単なる呼び方ではなく、法的な地位に基づくものである。
したがって、「不法」「違法」と呼ぶことがすなわち差別や印象操作であるとは言いきれない。むしろ、「非正規」という言葉で事実をやわらげることは、法律上の位置づけや社会的な説明責任を曖昧にする可能性がある。日本は法治国家であり、ルールを明確にし、それに基づいて議論を進める必要がある。
法律の運用や制度の改善を求めることと、法律上の現実をあいまいにすることは、別の問題である。「不法滞在」と指摘することをすべて「印象操作」と断じるのは、極端な解釈とも受け取られかねない。
難民認定制度と入管行政の課題は確かに存在する
山添氏が同じ投稿内で指摘しているように、日本の難民認定制度や入管施設における対応には長年課題が指摘されてきた。
まともに難民認定せず、入管施設で被収容者が命を落とす、入管難民行政の是正が求められてきたのは棚上げか。
事実、名古屋出入国在留管理局で収容中に死亡したスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんの件は、国際的にも大きな波紋を呼んだ。この事件を契機に、入管施設の運営の在り方や収容期間の長期化、医療体制の不備が改めて問われている。
こうした制度の見直しを訴える声は、山添氏だけでなく、弁護士団体や人権団体からも繰り返されている。制度の透明化、公正化は急務であり、「不法滞在者」という言葉をどう使うか以上に重要な政策課題であることは間違いない。
共生か排除か 選挙前のメッセージの意味
山添氏は投稿の締めくくりで、社会のあり方についてこう訴える。
地域での共生は排除や敵対でなく相互理解と包摂でこそ。
このメッセージは、人種や国籍による分断が強調されがちな現代社会において、冷静な共生社会を築く重要性を語っているものだ。移民・難民に対する国際的な議論でも「包摂(インクルージョン)」はキーワードになっており、日本も例外ではない。
一方で、共生を実現するには、社会のルールと秩序が前提となる。在留資格を失った場合には、まず適切な法的処理が必要であり、そのうえで人道的配慮や制度改善を論じるべきである。「共生」と「無秩序」を混同してはならない。
山添氏の発信が示すもの 制度改革と国民理解のバランス
今回の発信は、選挙が近づく中での重要なメッセージとも言える。外国人政策や入管制度は、日本社会にとって避けて通れないテーマとなっており、山添氏はその議論を「人権」と「共生」の視点から投げかけている。
ただしその一方で、法律上「違法」「不法」とされている状態をあえて「非正規」と言い換えることは、ルールの軽視や誤解を招く恐れもある。法治国家における公的議論では、制度の問題点を直視しつつ、正確な言葉遣いと説明責任が求められる。
政治家の発信力が問われる中で、制度改革と国民理解の両立が今後の鍵となりそうだ。山添氏の投稿が火種となって、より建設的な議論が広がることを期待したい。