2025-10-08 コメント: 1件 ▼
岩屋外相「理解できない」発言に国民の反発 無償支援の説明責任を問う
岩屋毅外務大臣が、無償資金協力を「バラマキ」「無駄遣い」と批判する声について、「理解できない」と語った。 岩屋外相が批判を「理解できない」と言い切るなら、なぜ国民がそう感じているのか、その理由を知ろうともしない態度こそ問題だ。 もし「理解できない」と言い切るほど国民の声が分からないのなら、まず政治家としての立場を見直すべきだ。
岩屋外相、「理解できない」発言に疑問の声 国民の痛みを見ていないのでは
岩屋毅外務大臣が、無償資金協力を「バラマキ」「無駄遣い」と批判する声について、「理解できない」と語った。
この発言を聞いて、正直、耳を疑った。国民の生活がここまで苦しい中で、その言葉が出てくること自体が信じがたい。もし本気で理解できないのだとしたら、政治家を続ける資格があるのか――そう思う人も少なくないはずだ。
国民が苦しむ中での“海外支援”
物価は上がり、光熱費も上がり、子育て世帯は教育費に追われている。地方は人が減り、年金暮らしの高齢者は節約を重ねている。
そんな状況で、政府は海外へ数億円単位の「無償資金協力」を進める。人道支援の意義は否定しない。でも、その前に国内の困窮者や医療、介護現場にもっと目を向けるべきではないか。
岩屋外相が批判を「理解できない」と言い切るなら、なぜ国民がそう感じているのか、その理由を知ろうともしない態度こそ問題だ。
支援をするなら、筋を通せ
もし本当に海外支援が必要だというのなら、まずは説明が筋だ。
・短期的には何を目指すのか
・中期的にはどんな成果を見込むのか
・長期的にどんな国益や関係強化につながるのか
それを明確にした上で、定期的に国民に報告するのが当然だろう。
けれど、現実にはそうした説明がほとんどない。成果報告も、検証も、予算の透明性も不十分。これでは「血税を湯水のようにばらまいている」と言われても仕方がない。
SNSでは怒りと失望の声
「国内の保育園や学校にこそ支援してほしい」
「結果の見えない援助は、ただのパフォーマンス」
「外交のために税金を使うなら、効果を数字で出せ」
「支援が本当に現地の人のためになっているのか知りたい」
「“理解できない”って言葉、まるで国民を見下してるように聞こえる」
多くの人が、支援そのものよりも「説明のなさ」に不信感を抱いている。信頼を失うのは支援額の問題ではなく、誠実さの欠如だ。
“理解できない”で片付ける政治の傲慢
政治家が本気で国民に寄り添うなら、「なぜそう思うのか」を聞く姿勢が必要だ。
それを「理解できない」と切り捨てるのは、説明を放棄したに等しい。支援の目的や成果を語らず、批判に耳をふさぐ政治家は、国民の信頼を得られるはずがない。
もし「理解できない」と言い切るほど国民の声が分からないのなら、まず政治家としての立場を見直すべきだ。
支援の信頼は“説明”からしか生まれない
無償資金協力そのものを否定するつもりはない。困っている人を助けるのは日本らしい誇りでもある。
けれど、税金を使う以上、「何のために」「どんな効果を狙って」「どう使われたのか」を説明する責任がある。そこを怠れば、善意の政策もただの見せかけになる。
岩屋外相の「理解できない」という言葉は、国民の声を理解しようとしない姿勢の象徴に聞こえる。支援の前に、まず国民への説明を。理解してもらう努力を。そこからすべてが始まるはずだ。