2025-10-04 コメント投稿する ▼
福島瑞穂氏「女性なら誰でもいい訳ではない」発言に批判 “選別フェミニズム”が突きつける矛盾
自民党総裁選で高市早苗氏が初の女性総裁に選ばれた4日、社民党の福島瑞穂党首が会見で「女性なら誰でもいいというわけではない」と語り、物議を醸した。 その上で「女性なら誰でもいいというわけではない。 福島氏が批判した「女性なら誰でもいいわけではない」という言葉は、裏を返せば「自分に都合のいい女性だけが正しい女性だ」という主張にも聞こえる。
福島瑞穂氏「女性なら誰でもいい訳ではない」発言に波紋 “選別するフェミニズム”の矛盾
自民党総裁選で高市早苗氏が初の女性総裁に選ばれた4日、社民党の福島瑞穂党首が会見で「女性なら誰でもいいというわけではない」と語り、物議を醸した。
この発言は、福島氏自身が長年訴えてきた「女性の政治参画拡大」や「ジェンダー平等社会」の理念と、根本的に矛盾しているとして、国民の間でも批判が広がっている。
福島氏は会見で「高市さんは選択的夫婦別姓に反対など、男女平等の立場に立っていない」と述べ、「自民党初の女性総裁だが、まったく嬉しくありません」と断言した。
その上で「女性なら誰でもいいというわけではない。その典型が高市さんだ」と語り、就任を祝福するどころか「総理にしてはいけない」とまで主張した。
「福島氏の発言、女性を“選別”してるように聞こえる」
「自分と意見が違う女性は認めないって、結局差別じゃないのか」
「“女性議員を増やせ”と訴えてた人が、増えたら怒るのか」
「本当の男女平等って、思想が違う人も尊重することじゃ?」
「高市さんを叩くのは自由だけど、“女性失格”扱いは時代遅れ」
SNS上では、福島氏の言葉に対して“矛盾”を指摘するコメントが殺到した。とくに、これまで「女性議員を増やすべき」と訴えてきた本人が、思想や立場が異なる女性を排除する発言をしたことに、違和感を覚える人が多い。
理念と現実のねじれ
福島氏は長年、「女性が政治の意思決定の場に立てる社会を」と訴えてきた。しかし今回の発言は、「増やすべき女性は自分たちと同じ考えの女性に限る」と聞こえかねない。
つまり“思想で選別するフェミニズム”に陥っており、それは男女平等の理念そのものを歪める結果になっている。
高市氏は保守的な立場から、選択的夫婦別姓やジェンダー政策に慎重姿勢を示してきたが、それ自体は民主主義の中で尊重される一つの立場にすぎない。多様性とは、異なる意見が並び立つことを指す。思想が異なる女性を“女性の敵”とみなすなら、それは平等ではなく、“排他的な正義”に変質してしまう。
福島氏が批判した「女性なら誰でもいいわけではない」という言葉は、裏を返せば「自分に都合のいい女性だけが正しい女性だ」という主張にも聞こえる。これは、女性を社会的主体としてではなく、政治的道具として扱う発想そのものである。
“異なる女性”を認めることが本当の平等
高市氏の登場は、日本社会にとって「女性リーダー像の多様化」を象徴する出来事だ。これまでリベラル側の価値観の中でしか語られてこなかった“女性の政治参加”に、保守側から新たな形を示した。
これは本来、男女平等を目指す立場の人ほど歓迎すべき変化のはずだ。
政治思想が右であれ左であれ、女性が政策判断の中枢に立つという事実は、社会の成熟を意味する。
福島氏が唱える「男女平等」を本気で貫くなら、まず自分と異なる女性の存在を認めることが出発点となるべきだ。理念に合わない女性を排除する姿勢は、もはや“平等”ではなく“選別”である。
国民は“対立”よりも“結果”を求めている
高市政権に対する批判や懸念は当然あってよい。しかし今の国民が求めているのは、思想闘争ではなく、物価や安全保障など具体的な問題への対応である。
福島氏がいくら「高市政権を阻止する」と叫んでも、生活実感に結びつかない抽象論では、有権者の共感を得ることは難しい。
むしろ、高市氏が示した「ガソリン・軽油値下げ」や「診療報酬見直し」といった政策こそ、政治が生活を支える現実的な方向性として国民の目に映っている。
政治とは理念を競うだけでなく、結果を出すことで信頼を得る営みである。そこに性別も、思想の“正しさ”も関係ない。
政治の世界に“女性の多様性”が生まれた今、福島氏のような旧来のフェミニズムが再考を迫られている。真の平等とは、同じ思想の女性を増やすことではなく、異なる女性同士が共存できる社会をつくることだ。