2026-02-05 コメント投稿する ▼
山本太郎氏が衆院選初演説、党勢挽回へ治療専念から方針転換
れいわ新選組の山本太郎代表が2026年2月5日夜、東京・池袋で衆院選公示後初となる街頭演説に臨みました。病気治療のため1月21日に参院議員を辞職し、選挙戦では活動しない方針を示していましたが、急転直下の方針転換です。党関係者によると、各種世論調査でれいわが苦戦している状況を受け、党勢挽回のため自ら立ち上がることを決断したとみられます。
「表に出ません」から一転
山本代表は1月21日の辞職会見で「多発性骨髄腫の一歩前の段階」と病状を説明し、議員辞職を「生きるための決断」と強調していました。その際、衆院選については「表には出ません」と明言し、応援演説などは完全封印する意向を示していました。
「それやっちゃったら進んじゃいますよ。絶対やりたいもん、言われたことだけじゃなくて、それ以上やろうとするもん」「今一番の私自身のテーマとしては、これ以上数値を悪くしない、逆に言ったら下げていく、ということを徹底しないと。世の中を変えることができない。心を鬼にして、選挙戦の舞台に立たないという選択をした」と自らに言い聞かせるように語っていました。
しかし、公示から約10日後の2月5日、れいわ新選組の公式Xアカウントが午前中に山本代表が同日夜に街頭演説を行うと突如発表しました。支持者からは「涙が出るほど嬉しい」「本当にいつも命懸け」「身体が心配。でも嬉しい」などの声が相次ぎました。
約45分間の訴え
午後7時15分ごろ、池袋駅西口に姿を見せた山本代表に、駅前に詰めかけた聴衆から拍手が沸き起こりました。代表は約45分にわたってマイクを握り、「国を変える力を貸してほしい。自民党に300議席も渡すわけにはいかない」と力強く訴えました。
演説中、自身の健康問題にも言及しました。「メンタルお化け、体力お化けという活動を続けていた」としつつも、「結果どうなったか。病気になったんですよ」と告白しました。
「仕事に殺されないでください。働かなきゃ食っていけない。当たり前の話。けれども、あまりにも働き過ぎたら倒れてしまいます。その声を無視したら命を奪われてしまう。私はラッキーだった。その手前で気づけた。ツイてるね」と聴衆に声をかけ、「だから、ここから体を治して、もう1度あの妖怪だらけの永田町に戻って鬼退治したいと思っているんです。必ず選挙に行って」と呼びかけました。
また、高市早苗首相については「高市早苗氏が首相では失われた30年が40年にしかならない」と政権批判を展開しました。
党内からの切実な声
山本代表の方針転換の背景には、れいわ新選組の厳しい選挙情勢があります。共同通信が1月31日から2月2日に実施した終盤情勢調査では、れいわは「議席確保に全力を挙げる」状況で、公示前の8議席について「全国的な浸透が見られない」と報じられていました。
党内からは、大石晃子共同代表が「山本氏だったら、もっと街頭演説に人が来ているだろう」と発言するなど、切実な声が上がっていました。時事通信の報道によると、大石共同代表は「体を壊した山本太郎のバトンを引き継いだ一人や」と大阪駅前で叫び、「党の顔」を前面に押し立てられない焦りをにじませていました。
永田町関係者は「あそこはタレント出身の山本代表の強烈キャラが最大のウリで『山本商店』と揶揄されることも。大石晃子共同代表は旗頭を欠く選挙戦を『れいわ新選組の存亡を懸けた大ピンチ』と認めています」と指摘しています。
6日も演説予定
党によると、山本代表は2月6日も東京都や大阪府など1都2府2県の7カ所で街頭演説に立つ予定です。衆院選期間中、自身のXアカウントには過去の発言を取り上げる形で党の主張を訴えていましたが、ついに表舞台に復帰する形となりました。
山本代表は1月21日の辞職会見で、党代表は続投するとしていました。2013年の参院選東京選挙区で初当選し、2019年にれいわ新選組を設立して代表に就きました。2021年から衆院議員を務め、1期目途中で辞職し、2022年参院選で再び当選していました。
厳しい党勢
れいわ新選組は2024年の前回衆院選で、消費税廃止や現金給付を訴えて公示前の3倍の9議席を獲得し存在感を見せつけました。しかし、2025年の参院選では参政党など新興勢力の躍進の陰で、1議席増の3議席獲得にとどまっていました。
看板政策の一つである消費税減税を他の野党も言い出したことの影響や、2026年1月にはイスラエル訪問を巡って党と対立した多ケ谷亮前衆院議員が離党するゴタゴタもありました。
今回の衆院選について、れいわは結成以来主張してきた消費税廃止を前面に掲げ、2024年衆院選の9議席から上積みを狙っていますが、創設者不在による戦力ダウンは否定できない状況でした。山本代表自身も「山本太郎がいなくなっても、私たちはやっていけるんだと見せるチャンス」と語っていましたが、厳しい情勢を受けて方針を転換せざるを得なかったとみられます。