2025-10-29 コメント投稿する ▼
小野田紀美大臣が「迷惑行為」と取材拒否批判へ 杉尾秀哉議員が提起した報道監視の危機
ただ、常識を逸脱したようなものでなければ、メディアの取材を『迷惑行為』と決めつけるのは言い過ぎではないか」と強い違和感を示しています。 報道機関が「正当な取材活動」と主張する以上、議員・閣僚の側が「迷惑」として片付けてしまえば、国民の知る権利や行政・政治の透明性が損なわれる可能性があります。
「迷惑行為」発言の裏にある政権・報道の緊張 ― 小野田 紀美大臣 VS 杉尾 秀哉議員
取材拒否か取材圧力か
2025年10月26日、経済安全保障担当大臣である小野田紀美氏は自身のX(旧Twitter)投稿で、週刊誌による取材行為を「迷惑行為」に抗議する姿勢を示しました。小野田氏によれば「地元の方や同級生の方々から『週刊新潮の取材が来た。どこで個人情報が漏れているのか分からないが怖い、気持ち悪い』という多数のSOSが届いています。取材に応じないと、なぜ取材を断るのか理由を述めるよう言われ、追い詰められるように感じる方もいたそうです。このような迷惑行為に抗議します」との訴えでした。
一方、取材を受けた週刊誌側は、「正当な取材活動」であると反論しており、どこまでが“迷惑”でどこまでが“取材の自由”か、その線引きが曖昧です。報道機関によれば、参院岡山選挙区選出の小野田氏の地元や知人に取材が入っており、その詳細は公開されていません。
監視されるべき側が「監視」を拒むのか
この発言に対し、立憲民主党の杉尾秀哉参院議員は29日、自身のXを更新し「どんな取材行為だったかは分からない。ただ、常識を逸脱したようなものでなければ、メディアの取材を『迷惑行為』と決めつけるのは言い過ぎではないか」と強い違和感を示しています。さらに「特に権力の側にいるものはチェックされるのが当たり前なのだ。私はこの投稿に強い違和感を覚える」と記しました。
つまり、小野田氏の立場にある「取材を迷惑とみなす」姿勢を、監視・批判機能のある報道への挑戦として、杉尾議員は捉えていると言えます。報道機関が「正当な取材活動」と主張する以上、議員・閣僚の側が「迷惑」として片付けてしまえば、国民の知る権利や行政・政治の透明性が損なわれる可能性があります。
権力の側こそ説明責任と柔軟性を持つべき
大臣・閣僚という立場にある人物が、取材を受けることを「迷惑行為」と表現するのは極めて問題だと考えます。なぜなら、政治家は国民の代表として、説明責任を果たす義務があるからです。報道が過熱・過剰になっていない限り、取材行為そのものを拒否または攻撃の対象にすることは、監視から逃れる姿勢と受け取られても仕方ありません。
もちろん、取材方法や人権・プライバシーの侵害という問題があれば厳しく批判されるべきです。しかし、小野田氏の投稿は「個人情報がどこから」「取材に応じない理由を問われた」という形式だけであり、具体的に「取材が法を超えていた」「違法性があった」という説明はありません。状況が説明されないまま“迷惑行為”という断定に至っている点には、疑問があります。
さらに、私の立場から言えば、国民負担・企業・団体献金・政治献金・インボイス制度 といった政治と経済の構図を改革すべきという観点からも、報道・監視機能を軽視する論理には賛成できません。政治家を選ぶ側・知る側として、報道が正しく機能することは必須です。今回のような投稿が拡散されると、政治への信頼が低下する恐れがあります。
報道と政治の関係をどう構築するか
今回の件は、取材=監視・批判という報道の役割と、政治家・閣僚がそれをどう受け止めるかという問題を浮き彫りにしています。小野田紀美大臣には、「どのような取材だったのか」「取材側がどのような行為を行ったのか」という説明の場が不可欠です。そうでなければ、「取材を迷惑だ」とする一言で議論が終わり、国民の知る権利・政治の透明性が棄損されかねません。
報道が過剰にならないようルールやマナーを整えることも重要ですが、それ以上に、政治家が報道・取材を敵視せず、説明責任を果たす姿勢を持つことが、民主主義の信頼を支える基盤です。今回の投稿を契機に、政治とメディアの適切な緊張関係を再検討すべきではないでしょうか。