2026-01-23 コメント投稿する ▼
中道改革連合と新進党の類似点、3年で消えた新進党の轍を踏むか参院不参加・支持母体も同じ
立憲民主党(立憲民主)と公明党の衆議院議員が結成した新党中道改革連合(中道)は、1994年に発足した新進党と類似点が多いことが指摘されています。自由民主党(自民党)、社会党、新党さきがけの自社さ政権に対抗する議員が参集し、中道色が強かった新進党は政権を獲得することなく、わずか3年で消滅しました。
連合と創価学会の合流
新進党は1994年12月に衆参214議員が参加して誕生しました。母体となったのは、少数与党に陥り1994年6月に約2カ月で退陣した羽田孜内閣を支えた非自民・非共産勢力でした。党首は海部俊樹元首相氏でしたが、新生党の小沢一郎氏が幹事長に就任して実権を握りました。高市早苗首相や石破茂前首相氏も一時、在籍していました。
新進党には、新生党のほか、新人議員だった中道改革連合の野田佳彦共同代表氏が所属した日本新党、同じく新人だった斉藤鉄夫共同代表氏が所属した公明党に加え、連合の旧同盟系を支持母体としていた民社党などの議員が加わりました。今回も連合の支援を受ける立憲民主党、創価学会を支持母体とする公明党が合流する形となりました。
「新進党の二の舞にならないか心配だ」
「中道というイメージだけでは不十分では」
「連合と創価学会の組み合わせが当時と同じ」
「3年で消えた新進党と同じ道をたどるのか」
「参院不参加も新進党と同じ構図だ」
公明の分党も同じ手法
公明党は当時、合流前に新進党に参加する衆議院議員を中心とした公明新党と、参議院議員や地方議員らによる公明に分党しました。今回も、公明党の参議院議員と地方議員が公明党のまま残存する点は同じです。
新進党は初の国政選挙となった1995年の参議院選挙で、自民党の46議席に続く40議席を獲得しました。非改選を含めた56議席で野党第一党に躍進しました。しかし、小沢党首で臨んだ1996年の衆議院選挙は選挙前よりも減らし、156議席と低迷しました。その後、小沢氏と対立した羽田氏、細川護熙両元首相氏らが離党し、1997年12月に解党しました。曲折を経て1998年11月に公明党が再結成されています。
第二の新進党を目指すものではない
当時を知る斉藤氏は2026年1月15日の記者会見で、中道改革連合について第二の新進党を目指すものではないと述べていました。斉藤氏は、自民党と全面対決する党を作るつもりはないとし、中道政策を進めるためにある意味では自民党とも連携しながら政策を進めていくこともあり得ると、対決一辺倒ではない柔軟な姿勢を示しています。
しかし、新進党との類似点は多く指摘されています。集票連合であること、参議院では前身政党が残ること、支持母体が連合と創価学会であることなど、構図がほぼ同じです。野田氏と斉藤氏はかつて新進党で行動を共にした経験があり、当時の新進党の教訓を踏まえているとみられます。
一方で、過去に希望の党が設立された際に排除の論理をかざして入党者を選別したことで分断が発生し、第48回衆議院議員総選挙では排除された旧立憲民主党の後塵を拝す形で議席を伸ばすことができず、事実上短命に終わり失敗した経緯を懸念する声もあります。立憲民主党の議員総会では、希望の党のような排除の論理は取らず、従来の政策を訴え続けられるよう十分配慮すると説明されています。
衆院選で真価が問われる
2026年2月8日投開票の衆議院選挙で中道改革連合の真価が問われることになります。自民党、社会党、新党さきがけの自社さ政権に対抗した新進党と、高市早苗首相率いる自民党・日本維新の会(維新)連立政権に対抗する中道改革連合の構図は、約30年の時を経て類似しています。
新進党がわずか3年で消滅した轍を踏まないためには、政策の一致と党内の結束が不可欠です。しかし、安全保障やエネルギー政策を巡っては両党の間に違いもあり、今後の政策のすりあわせが課題となります。
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