2026-03-06 コメント投稿する ▼
故大塚耕平氏、国民民主党に「魂」 榛葉幹事長が盟友悼む
榛葉幹事長は、大塚氏を「知の巨匠」と評し、その人柄について「ウソ偽りのない、正直な男だった」と感無量の面持ちで語りました。 そして、「党に魂をぶち込んでくれた」と、大塚氏が国民民主党に注いだ情熱と活力を称賛しました。 榛葉氏は、大塚氏のような政治家を「ああいう男になりたい」と、自身が目標とする人物像であったことを明かしました。
混乱期の民進党、大塚氏が代表に就任
大塚氏は、2001年に榛葉氏と共に初当選して以来、政界で多くの時間を共に過ごした同志でした。特に、2017年11月、衆議院議員が旧希望の党と旧立憲民主党に分裂し、党が深刻な混乱に陥っていた時期、大塚氏は民進党の代表選挙に無投票で選出されるという重責を担いました。当時、党内は厳しい状況にありましたが、大塚氏はその舵取り役を買って出たのです。榛葉氏によると、当時、参議院議員だった両者は「どちらかが代表をやるしかない」と話し合い、榛葉氏が「大塚さん、あなたがやるべきだ。私が支えます」と背中を押したとのことです。この決断は、党を再建しようとする強い意志の表れでした。
「魂をぶち込んでくれた」榛葉氏が語る人柄
榛葉幹事長は、大塚氏を「知の巨匠」と評し、その人柄について「ウソ偽りのない、正直な男だった」と感無量の面持ちで語りました。そして、「党に魂をぶち込んでくれた」と、大塚氏が国民民主党に注いだ情熱と活力を称賛しました。大塚氏が実践しようとした「正直で飾らない現実的な政治」は、国民民主党が目指す理念そのものであり、党が進むべき道を示していたと榛葉氏は強調します。榛葉氏は、大塚氏のような政治家を「ああいう男になりたい」と、自身が目標とする人物像であったことを明かしました。
同期当選組、二人が残った
初当選同期として、当時20人弱いた優秀な仲間たちの中で、最終的に榛葉氏と大塚氏の二人が政治の道を歩み続けたことに触れ、榛葉氏は「最も優秀だった大塚耕平と、最も出来の悪かった榛葉賀津也」とユーモアを交えながら、二人の絆の深さと、共に困難な時代を乗り越えてきた同志としての万感の思いを語りました。数多くの政治家が去来する中で、大塚氏の存在は榛葉氏にとっても、そして国民民主党にとっても、かけがえのないものでした。
政界復帰への働きかけと突然の別れ
大塚氏はその後、国民民主党を離党し、参議院議員を辞職。2024年11月には、故郷である名古屋市長選挙に出馬しましたが、惜しくも当選には至りませんでした。しかし、榛葉氏や古川元久代表代行らは、大塚氏に再び衆議院で活躍してほしいと、政界復帰への働きかけを続けていました。榛葉氏は、大塚氏が国会を去り、故郷のために尽力することを決意した夜、共に夜通し飲み明かした思い出を語り、「大塚さん行きつけの小料理屋は、私が引き継ぎます」と、故人への敬意と別れを惜しむ気持ちを表明しました。しかし、そんな矢先の突然の訃報に、関係者は深い悲しみに包まれています。
「大塚耕平の生きざまそのもの」
榛葉幹事長は、大塚氏の政治家としての生き様を「大塚耕平の生きざまそのものだった」と表現しました。その言葉には、大塚氏への深い敬意と、彼と共に歩んだ政治人生への感謝、そして彼の死を悼む無念の思いが込められています。国民民主党は、大塚氏が灯した情熱と信念を受け継ぎ、今後も現実的な政治を追求していくことでしょう。