2025-10-05 コメント投稿する ▼
小泉進次郎演説に「異変」指摘 80票ショックと緊張が影を落とす
自民党総裁選の決選投票を前に行われた小泉進次郎氏(44)の最終演説で、「かんでいた」「表情がおかしい」といった異変があったと、政治ジャーナリストの青山和弘氏が指摘した。 演説後、小泉氏は高市早苗氏に敗れ、自民党総裁の座を逃した。 総裁選では、演説の印象だけでなく、演説後の党員票や地方票の動きが最終的な勝敗を左右する。 小泉氏は第1回で議員票80票を獲得したが、最終的には高市早苗氏に敗れた。
異変見えた最終演説
自民党総裁選の決選投票を前に行われた小泉進次郎氏(44)の最終演説で、「かんでいた」「表情がおかしい」といった異変があったと、政治ジャーナリストの青山和弘氏が指摘した。映像を細かく観察していた視聴者からも違和感を覚えたとの声が上がっており、演説という“舞台”の裏に潜む心理や支持基盤の揺れが注目されている。
青山氏は番組で語った。「1回戦で80票しか出なかったじゃないですか、議員票が。あれでね、小泉さんは相当ショックを受けたと思うんですよ」「すぐ、演説だったでしょ。だから演説もやたらかんでたし。表情もおかしいところがあったんですよね」。さらに「普段もっと言うべきところを、決選でまとまってほしいみたいな願望が強く出すぎた」「(演説が)飛んじゃったんじゃないかぐらいに不可思議な演説でした」と見立てた。
演説後、小泉氏は高市早苗氏に敗れ、自民党総裁の座を逃した。
「かんでたし、表情もおかしい」
「相当ショックを受けたと思うんですよ」
「もっと言うべきところを抑えた感じ」
「飛んじゃったんじゃないか」
「不可思議な演説でした」
これらの言葉には、聴衆や党員に託す思いと、演説者自身の内的動揺が滲むようでもある。
演説全文と“揺れ”の痕跡
冒頭で小泉氏は、選挙管理委員会や党職員、地方組織らへの謝意を述べ「よろしくお願いします」と挨拶を告げた。続いて、1年前の敗北に対する自身の未熟さを語り、「支えてくれた同志」「仲間づくりを支えてくれた方々」に感謝を重ねた。「総理総裁になった暁には、私が皆さんに活躍の機会をつくる番です」と訴える場面もあった。
その後、他の候補に対する感謝と挙党体制を呼びかけ、「自民党が1つになる」ことを繰り返した。物価対策、治安、外交・安全保障といった不安に向き合う覚悟を示す部分もあり、最後は支援者への感謝を改めて述べて演説を締めた。
ただし、映像を分析した専門家によれば、ところどころ言葉が途切れがちで、抑揚の変化が目立つという。「〜という方向に…」と語尾を曖昧にせざるを得ない部分があり、聴衆には“あれ?”と感じさせる瞬間もあったとされる。人前で話す際の激情や緊張が、わずかに透けて見える場面だった。
80票がつくったプレッシャー
青山氏が強調した“1回戦で80票”という数字は、複数の報道によって確認されている。総裁選では議員票と都道府県票(党員票)を合わせて争われるが、議員票での伸び悩みは支持基盤の薄さを露呈しやすい。この低い数字が演説前のプレッシャーや“下振れ”感覚に影響した可能性は否定しがたい。特に決選直前という局面では、心理が揺れやすいとされる。
期待された支持拡大が見えないなかで、演説者自身の不安や焦りが、無意識に発語や表情に影響を及ぼしたことも考えられる。ただし、議員票80票だけをもって演説の挙動をすべて説明することはできない。政治家には演説訓練が施されるため、本番での緊張に加えて準備過程の疲労や心身の状態も無視できない要因となる。
演説だけで語れない構造
演説はあくまで“見える表現”の一部に過ぎず、内部で進む派閥調整や根回しなど多層の動きが存在する。演説での「揺れ」が実際に支持の増減を左右したと断定するのは難しい。総裁選では、演説の印象だけでなく、演説後の党員票や地方票の動きが最終的な勝敗を左右する。演説が決定打となったケースもあるが、結果を導くのはその前段にある積み上げである。
ただ、今回のように演説時の“違和感”が目立つと、メディアや支持者の間で話題になり、対立陣営の材料として使われやすい。“舞台度胸”や“耐性”が政治家の評価材料になる場面でもある。
総裁選の構図と結果を振り返る
この総裁選は2025年10月4日に行われた。第1回投票では過半数を得た候補がいなかったため、決選投票に移行した。小泉氏は第1回で議員票80票を獲得したが、最終的には高市早苗氏に敗れた。党員票や地方票での支持が十分に広がらなかったこと、地盤の弱さ、対抗勢力の結集などが勝敗を分けたとみられている。
今回、青山氏のように“演説異変”を切り口に支持変動を読み解く観点は、政治報道の新しい視点でもある。表情や言葉、間合いといった非言語要素の分析は、政治家の心理や党内の動向を感じ取る重要な手掛かりになり得る。今後、党内の戦略論議や責任分担の議論において、こうした“揺らぎの痕跡”が再び注目される可能性もある。
 
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
                    