2025-06-17 コメント投稿する ▼
共産党・白石たみお氏の“現場主義”に潜む限界 都政を動かすのは理想より現実的改革
共産党・白石たみお候補の都政論に潜む“理想主義の限界”
東京都議会議員選挙を前に、日本共産党の白石たみお候補(品川区)がオンライン対談形式のトークイベント「ここだけの話」に登場し、都政の舞台裏や議会活動への姿勢を語った。都議団政調会長としての経験をもとに、自身の役割や実績をアピールしたものの、そこには「理想を語る一方で現実性に欠ける」政治の限界もにじみ出ていた。
白石氏は、都議団の調査力や追及姿勢について、「都庁の職員たちからも厚い信頼を得ている」「与党議員からも“面白かった”という感想をもらう」と誇らしげに語った。しかし、都政に必要なのは“面白さ”や“印象”ではなく、実際に都民の生活を良くする政策を形にできるかどうかである。
「“面白かった”って…政治ってショーじゃないんだが」
「都庁職員に信頼されるのはいいけど、実績が伴わなきゃ意味がない」
「印象操作より、政策実行してほしい」
「調査に力入れるのはいいけど、いつも批判ばかりじゃ…」
「現場主義って言いながら、共産党って結局“反対のための反対”になってない?」
“調査熱心”アピールの裏にある政治の空回り
プロジェクションマッピングやお台場の巨大噴水といった、都の派手な事業を「無駄遣い」として批判する姿勢は一貫している白石氏。だが、それらの追及に多くの時間と労力を費やしながら、代替案や建設的な予算の使い道を明確に打ち出していないことが、多くの都民から「空回り」と受け止められているのも事実だ。
「夜中まで質問を練り、都庁の情報開示を求める」姿勢は確かに誠実だが、そこで止まってしまっては政治は変わらない。税金の使い道に目を光らせるのは重要だが、「それに代わる提案がなければ、ただの批判で終わってしまう」という声も上がっている。
「一致点にしがみつく」という“対話主義”の誤解
今回のトークでは、「良いものは超党派で」「一致点にしがみつく」という言葉も繰り返された。白石氏は、都こども基本条例の成立に際し、他党と連携したエピソードを語り、「違う点を探すのではなく、対話によって合意形成する」と強調した。
しかしこの姿勢にも、現実には限界がある。理想論としては美しいが、実際の共産党の政治行動を振り返れば、国政や他の議会ではむしろ“対話より対立”を強調することが多いのも事実である。都議会においては「超党派」の言葉を便利に使っているが、本当に政策合意を主導できているのかは疑問が残る。
「“一致点にしがみつく”って…意見の違いを乗り越える努力じゃないの?」
「超党派って言いつつ、反対ありきの印象しかない」
「対話を語るなら、もっと柔軟に動いてほしい」
「理想語っても、都政は現実との格闘だよ」
「共産党の“合意”って、結局自分たちの案を押すってことでは?」
問われるのは“実行力”と“財源責任”
白石氏が強調する「都議会野党第1党」の立場には、それなりの責任が伴うはずだ。しかし、これまでの共産党都議団の主張は、「給食費の無償化」や「補聴器補助」「都立大学授業料無償化」など、“バラマキ型政策”が中心であり、財源の具体案や経済の活性化に対する視点は乏しい。
一方で、都民が今求めているのは、将来的に持続可能な社会保障と減税を通じた可処分所得の向上だ。そうした「自立を促す支援」の視点が乏しい共産党の姿勢に対しては、現実感のなさを指摘する声も多い。
「なんでも“無償化”じゃなくて、働く人の手取り増やす発想がないのか」
「財源どうすんの?って話にはいつも答えが曖昧」
「補助は必要だけど、減税の方が長期的には効果ある」
「“与党が無駄遣い”って言うけど、共産党の政策もかなり予算食うよ?」
「改革よりバラマキが先に立ってる時点で、信用できない」
“調査力”よりも必要なのは“現実に即した改革力”
白石たみお候補の言う「現場主義」「都政の透明化」は、聞こえは良い。だが、都民が本当に期待しているのは、批判よりも建設的な提案であり、調査力よりも実行力である。都政を変えるとは、会議の追及力を誇ることではなく、都民の生活をどう改善するかを実現することだ。
理念だけでなく、現実に通用する財政観と政策立案力。共産党候補に今もっとも求められているのは、「反対のための反対」から脱却した、説得力のある改革案だ。批判を超えた先に、本当の政治の信頼がある。