2025-08-16 コメント投稿する ▼
米山隆一氏「二世の悲哀」に異議 「親の恩恵なく敗れた一世の悲哀の方が深い」
米山隆一氏「二世の悲哀」論への持論展開
立憲民主党の米山隆一衆院議員が、自身のSNSで「二世の悲哀」を語る政治家に対して独自の見解を示した。政治家の二世問題はしばしば「世襲批判」と結び付けて語られるが、米山氏は「同情の対象は誰か」という点に焦点を当てている。
米山氏の指摘
米山氏はまず、「突如、政治家を含む様々な方が『二世の悲哀』を表明し、同情を集めている」と指摘。そのうえで、こう述べた。
「親からの恩恵を十分受け、選挙などで勝ったが、自力だと言ってもらえない『二世の悲哀』が、親の恩恵なく自力で二世と勝負して敗れた『一世の悲哀』に勝るとは思えない」
つまり、親の地盤や支援を受けながら「苦労を分かってほしい」と訴える二世よりも、何の後ろ盾もなく挑み敗れた一世の方がより大きな悲哀を背負っている、というのが米山氏の立場だ。
二世議員批判と共感の分岐点
日本の国会議員の約3割が世襲とされる中で、「親の恩恵を受けながらも『自分の力』と認められない」という葛藤は確かに存在する。しかし米山氏の指摘は、それが「敗れ去った一世の苦しみ」に比べれば贅沢な悩みである、という冷静な現実を突いている。
ネット上でも意見は分かれている。
「米山の指摘はその通り。二世の悲哀より一世の挫折の方が重い」
「二世にしか分からない苦労もあるのに一概に否定はできない」
「有権者の共感を集めようとする二世の言葉は白々しく聞こえる」
「一世は命を削っても政治に届かない。悲哀の深さは比べ物にならない」
「結局、世襲構造を放置してきた政党が問われるべきだ」
「二世の悲哀」という言葉が同情を呼ぶ一方、米山氏は「親の庇護を受けた上での悲哀よりも、庇護なく挑んで敗れた一世の悲哀の方が重い」と冷徹に断じた。世襲批判が繰り返される中で、この発言は「誰が本当に報われるべきか」という問いを改めて突きつけている。