2025-06-13 コメント投稿する ▼
米山隆一氏「仲が良いから旧姓に戻す」で波紋 選択的夫婦別姓に違和感の声多数「現実離れした理屈」
米山氏「仲がいいから旧姓に戻す」発言に違和感広がる
立憲民主党の米山隆一衆院議員が13日の衆院法務委員会で語った「仲が悪いわけではなく、むしろ仲が良いから旧姓に戻すことに夫が同意した」という発言が、波紋を呼んでいる。
このやり取りは、参政党の吉川里奈議員が、選択的夫婦別姓が導入された場合の家庭への影響を問う中で紹介した実体験に対するものだった。吉川氏は、自身の子どもに「ママ、結婚前の名前に戻そうか」と話した際、「仲が悪いみたい」「離婚したの?」と返されたと語り、子どもが姓の違いを“家族の分裂”と受け取る可能性を指摘した。
しかし米山氏は「仲がいいから旧姓に戻すと説明すればいい」「制度導入でなんら問題は生じない」と一蹴。家庭の現場で生じる感情や違和感を「説明で乗り切れる」と断じた姿勢には、現実を軽視しているとの批判が相次いでいる。
制度の「現場感覚の欠如」に疑問の声
米山氏はさらに「旧姓使用の拡大は弥縫(びほう)策に過ぎない」「法的効力に限界があり、選択的夫婦別姓こそが問題解決の道だ」と主張。導入を急ぐべきだと力説した。
だが、家庭という極めて感情的な領域において「合理的な説明をすれば問題はない」という論理一本で押し切る態度に、違和感を覚える国民も多い。特に子どもが感じる素朴な疑問や不安を「言い聞かせ」で乗り越えられるという前提は、机上の空論だとの指摘もある。
現実の生活では、学校や地域社会で「なぜ親子で姓が違うのか」と尋ねられる場面も想定される。そうした社会的ストレスにどう向き合うかという視点が、米山氏の発言からは抜け落ちている。
思想的背景に無自覚? 家族制度の軽視に懸念
参政党の吉川議員は、夫婦別姓を求める動きには「家族制度を変えようとする思想的潮流がある」と指摘。かつてマルクス主義思想が家族を「支配の装置」とみなし、解体を社会変革の一手段とした歴史に言及しながら、「制度変更には慎重さが求められる」と述べた。
しかし米山氏はこうした視点には触れず、制度の実務的利便性や“自由”ばかりを強調した。個人の自由と家族の一体感、社会の安定性という価値のバランスをどう取るかという本質的な問いには向き合わず、あくまで形式上の「選択の自由」だけを押し出す姿勢には、多くの保守層や子育て世代から不安の声が上がっている。
SNSでは「現実を知らなすぎる」批判が噴出
米山氏の発言はSNSでも大きな反響を呼び、多くの国民がその“割り切った論理”に疑問を呈した。
「仲が良いから旧姓に戻す? 言葉の遊びにしか聞こえない」
「説明すれば問題ないって、本当に子育てしてる人の発言とは思えない」
「子どもの感じたことを軽く見るのが一番危険」
「制度に生活を合わせるんじゃなくて、生活に制度を合わせるのが政治でしょ」
「家族が別姓なのが当たり前って、誰が決めたんだよ」
家庭という繊細な場面で、“社会通念”と異なる価値観を制度で押し付けることへの拒否感は根強く、「多様性」を名目に家族制度そのものを揺るがすことへの警戒心は消えていない。
家族を支えるのは「制度の柔軟性」ではなく「一体感」
本来、制度とは国民の安心と安定のために存在するものだ。選択的夫婦別姓という制度が、本当に「自由の拡大」であり「社会に受け入れられる段階」にあるのか。その判断には、理念だけでなく、現実に即した細やかな視点が不可欠だ。
「仲が良いから旧姓に戻す」と言えるのは、政治の言葉としてはスマートかもしれない。しかしそれは、家族が姓を共有することに安心や誇りを持って生きてきた多くの人々にとっては、決して納得のいく答えではない。制度改変には国民感情への理解が不可欠であり、机上の理念では人の心は動かない。