2025-10-06 コメント: 2件 ▼
旧岸田派の「ハンドサイン統一」が映す派閥政治の実態 見せかけの解散では自民党再生は不可能
自民党総裁選の決選投票で、旧岸田派が「ハンドサイン」で投票先を統一していたという報道が波紋を呼んでいます。 この出来事は、派閥政治がまだ根深く残る自民党の体質を象徴しています。 フジテレビの報道によれば、旧岸田派の議員らは決選投票の際、投票箱に用紙を入れる際の“手の動き”を合図に意思統一していたといいます。
旧岸田派の“ハンドサイン統一”が映す自民党の古い体質
自民党総裁選の決選投票で、旧岸田派が「ハンドサイン」で投票先を統一していたという報道が波紋を呼んでいます。6日に放送されたフジテレビ系「サン!シャイン」では、派閥の面影を残すようなこの行動を、政治の裏側として紹介しました。
旧岸田派は岸田文雄前首相の下で一度は「派閥解散」を宣言したはずでした。しかし、実際には組織的な動きが今回も確認され、形式上の“解散”と実質的な“存続”との乖離が浮き彫りになりました。
この出来事は、派閥政治がまだ根深く残る自民党の体質を象徴しています。
「右手で投票」が合図?旧派閥の“結束”は健在
フジテレビの報道によれば、旧岸田派の議員らは決選投票の際、投票箱に用紙を入れる際の“手の動き”を合図に意思統一していたといいます。番組の高田圭太解説委員は「岸田派の人たちは右手で投票すれば小泉進次郎さんに入れるというルールを作っていたようだ」と解説しました。
スマートフォンの持ち込みが禁止された投票会場で、派内の足並みをそろえるための“無言の合図”だったというわけです。
「右手か左手か、それが派の意思を示していた」
「岸田派が消えたと聞いていたが、実態は残っている」
「昭和のような合図で投票が決まるのは不健全だ」
「解散を宣言しても、結局は人間関係のネットワークが支配する」
「これでは若い政治家が自由に投票できない」
SNS上ではこうした声が相次ぎ、「派閥政治の亡霊がまだ生きている」との指摘が広がりました。
“派閥解散”は見せかけ 実質的支配構造は温存
岸田前首相は、裏金事件を受けて「派閥解散」を宣言し、自らが率いる宏池会をいち早く解散しました。
しかし、総裁選では旧宏池会の議員が集団で行動し、調整役や幹事役が暗黙のうちに機能していたことが明らかになっています。
政治学者の一人は「派閥の看板を外しても、実際は同じ人々が同じラインで意思決定している。これは実質的な派閥政治だ」と指摘します。
「形式上の解散は“リスク回避”にすぎない」
「派閥がないと公言しながら、選挙では同じラインで動く」
「透明性や民主性は形だけ。中身は昭和の政治文化そのまま」
「誰が誰に指示しているかが不明瞭で、責任も曖昧になる」
「自民党の“体質”が変わらない限り、再生は幻想に近い」
こうした見方が広がる中で、旧岸田派の“ハンドサイン統一”は象徴的な事例といえるでしょう。
若手議員の自由投票を奪う“空気”
党内関係者によれば、若手議員の中には「派閥はなくなったのだから、自由に投票できると思っていた」という声も上がっていたといいます。しかし、実際には“空気”が存在しており、派の流れに逆らう行動は難しかったと語る議員もいました。
「結局、派閥が解散しても、先輩議員との関係や将来のポストを考えると、自由に動けない。今も昔も構造は同じだ」とある若手議員は打ち明けています。
政治の透明性が叫ばれる時代にあって、こうした非公式な“統率”が機能している現実は、自民党の体質が根本的に変わっていない証拠といえます。
“派閥依存体質”の限界 再生は遠い
裏金問題を経て「刷新」「脱・派閥政治」を掲げた自民党ですが、旧岸田派をはじめ、旧麻生派、旧茂木派などの人脈は依然として強固に残っています。
今回の総裁選で表面化した「暗黙の連携」や「旧派閥の結束」は、党内改革がいかに進んでいないかを如実に示しています。
一部の政治評論家は、「派閥が再び影響力を取り戻すほど、自民党の組織文化は硬直している。若い議員や地方の声が埋もれ、政策の新陳代謝が起きない」と分析します。
つまり、派閥が形を変えて生き続ける限り、自民党の再生は困難です。政治刷新のかけ声だけが虚しく響き、旧来のネットワークと保身構造がそのまま温存される。
“右手か左手か”という単純な合図の裏には、そんな深い停滞が横たわっています。
透明性なき党内民主主義に未来はあるか
今回の「ハンドサイン騒動」は、単なる笑い話ではありません。自民党が真に再生するためには、派閥的支配構造を完全に断ち切る覚悟が必要です。
しかし、派閥が個々の議員の政治基盤や選挙支援に直結している以上、その改革は容易ではありません。
形式的な“解散宣言”ではなく、意思決定の過程を公開し、党内の議論を活性化させる仕組みこそが求められています。
旧岸田派の一挙一動に象徴されるように、自民党が抱える“古い体質”の根は深い。組織の論理よりも国民の目線を重視する政治に転換できなければ、「再生」という言葉はただのスローガンに終わるでしょう。