2025-10-29 コメント投稿する ▼
八幡愛議員が高市早苗首相の「対米従属」外交を痛烈批判:『心底情けない』と宣言
八幡議員は「怒りを通り越して、心底情けない」とまで表現し、国としての誇りや自主性が失われているとの見方を強めています。 八幡議員の批判が示す通り、今回の演説参加・ポーズはただの外交儀礼以上の意味を持っています。 八幡議員が「対米従属」と断じたのは、この対等性が欠けているという評価です。 八幡議員の「対米従属」という批判は、まさにこの点を突いています。
「自発的な対米従属」に怒り 八幡愛衆院議員、高市早苗首相の米空母演説参加を痛烈批判
横須賀・米空母上での演説参加と首相のパフォーマンス
10月28日、神奈川県横須賀市の米海軍横須賀基地に停泊していた原子力空母「ジョージ・ワシントン」上で、米国のドナルド・トランプ元大統領による演説が行われ、首相である高市早苗氏が登壇・参加しました。トランプ氏が「この女性は勝者だ!」と呼びかけたのに対し、高市氏は拳を上げて笑顔をみせ、さらに「私たちは非常に近い友人になった」との発言に対しサムズアップで応じ、トランプ氏から肩を引き寄せられる場面も確認されました。
また高市氏は短い挨拶の中で、「私は今後、日本の防衛力を抜本的に強化し、この地域の平和と安定により積極的に貢献していくことを決意しています。そのことで、トランプ大統領とともに世界で最も偉大な同盟になった日米同盟を、さらなる高みに引き上げてまいります」と述べました。
八幡議員の批判と「対米従属」という言葉
これに対して、れいわ新選組の八幡愛衆院議員は10月29日、X(旧Twitter)上で次のように私見を述べました:
ここまで自発的な対米従属には怒りを通り越して、心底情けないです。高市総理のいう『世界の真ん中で咲き誇る日本外交』がトランプ大統領のおトモダチで居続けることだなんて、独立国として情けない限りです
この発言により、「対米従属」「日本外交の自立性欠如」というキーワードが改めて浮き彫りになりました。八幡議員は「怒りを通り越して、心底情けない」とまで表現し、国としての誇りや自主性が失われているとの見方を強めています。
批判の背景と外交政策の重み
八幡議員の批判が示す通り、今回の演説参加・ポーズはただの外交儀礼以上の意味を持っています。首相という最上位の外交代表が、米大統領の演出の場において「勝者」「友人」というフレーズとともに映ることは、国際舞台における国の立ち位置を象徴的に表すものです。
だが、ここで問われるのは「日本が米国のアジェンダにどこまで従属するか」「同盟関係とは真の対等なパートナーシップを意味するのか」という点です。八幡議員が「対米従属」と断じたのは、この対等性が欠けているという評価です。
また、外交・安全保障を巡る議論では、国民の生活・財政・主権との関連も深く、単なるパフォーマンスでは済まない重大なテーマです。首相が演出にこだわるあまり、“ポピュリズム外交”との批判を免れられない構図になりつつあります。
外交代表としての立ち居振る舞いに必要なもの
首相という立場において、米国との同盟強化は重要ですが、それが国民・国家の主導性を欠く形で示されるならば、それは逆効果となります。今回の高市氏の行動は、演出としては注目を集めましたが、主体的な外交・国益のための働きかけとしてどう評価されるかが問われます。
特に私が懸念するのは、演出が目的となって国民が“見せられた外交”をそのまま信じてしまう点です。真の外交力とは、「どこで何を取り、何を守るか」「同盟とはどう活かすか」「国民の負担や安全にどう結びつけるか」にかかっています。演出だけでは、国民の理解・信頼は得られません。
八幡議員の「対米従属」という批判は、まさにこの点を突いています。日本が主体性をもって動くのでなく、米国の演出に“映る”ためだけのポーズに見えるとすれば、国としての品格や独立性が損なわれていると言えるでしょう。
演出ではなく結果を国民は見抜くべき
この件から私たちが学ぶべきは、政治家・首相の「演出力」よりも「実効力」を重視すべきということです。日本が「世界の真ん中で咲き誇る」のであれば、その根底には言葉以上の自主的な外交判断、国益・主権・安全保障への責任がなければなりません。
高市早苗首相には、今回の演説参加という“映像”を超えて、国民・外交パートナー・地域に向けて「何を成したのか」を明確に説明すべき責任があります。八幡議員の言葉は、その説明責任を問いかけるものとして重く受け止めるべきです。国民としても、首相の“勝者ポーズ”だけでなく、“成果”を見極める力を持たなければなりません。