2025-10-10 コメント: 2件 ▼
奥間綾乃那覇市議、息子ライブで議会欠席 市民の信託と責任軽視を問う
那覇市議会議員の奥間綾乃氏が、息子のライブ出演を理由に議会を欠席し、その際「堂々と休んだ」と発言したとされる報道が広まると、市民と政治関係者から厳しい批判が上がりました。 OZworld氏が投稿した「悪役を買ってくれてありがとう」といった言葉には、報道への反抗と母への意志表明の意図があります。
奥間綾乃議員、議会欠席で批判噴出
那覇市議会議員の奥間綾乃氏が、息子のライブ出演を理由に議会を欠席し、その際「堂々と休んだ」と発言したとされる報道が広まると、市民と政治関係者から厳しい批判が上がりました。「出席できないなら辞職を」「議員としての責任感が欠如している」といった声が相次いでいます。
OZworld氏、SNSで母と報道を擁護
息子のOZworld(アカウント名 @OverZenith369)氏は10日、X(旧Twitter)で次のように投稿し、母と報道に対して反論しました:
「一番身近な所を大事にできない人間に、顔も見えない市民を想って政治なんてものができるのでしょうか?」
「沖縄タイムスさんの大きな心意気に感動しました」
「それを考えさせてくれるために悪役を買ってくれて有難うございます!」
「もちろん今後取材に応じたりすること is 親子共々ありませんが」
「政治家も政治家である前に人です。あなた方と同じように」
この投稿には、報道機関への感謝とともに母親への擁護、そして「政治も人情が前提」といった信念が込められています。
責任ある職務とプライベートの矛盾
あなたが指摘の通り、政治家に限らず、多くの人が仕事を通じて社会貢献をしています。責任ある立場の人であれば、プライベートを削ってでも業務を休めないタイミングは当然あります。
しかし、議員に立候補する時点で「市民のために働く」と誓約した以上、その公約とのギャップは看過できません。ライブ出演を理由に議会を欠席するという行為は、公約と仕事責務の間に明確な矛盾をもたらします。
政治家も人間であるという主張は甘えに繋がりかねません。公務を優先できない場面を選ぶことは、その人物の本心や優先順位を露呈させるのです。
責任放棄と批判の正当性
今回の奥間氏の行動への非難には強い正当性があります。議員は市民の代弁者であり、議会参加・条例審議・政策提案の義務を担います。それを放棄するなら、有権者との信頼関係を破壊する行為です。
たとえ家族の事情が理由であっても、議員は代替手段やスケジュール調整義務を持つべきです。議会日程を理由もなく無視して「堂々と休んだ」という態度は、責任を軽視する行為です。
議員がこのような欠席を常態化すれば、議会自体の意味が薄れ、議員制度の正当性が揺らぎます。「選挙で託された責任」を果たさず活動を休むのならば、辞職を求められて当然でしょう。
報道と反論のバランス
一方、報道側も注意すべき点があります。OZworld氏が投稿した「悪役を買ってくれてありがとう」といった言葉には、報道への反抗と母への意志表明の意図があります。
完全に糾弾の文脈だけを流すのは、被報道者の言い分を封じ込める可能性があります。とはいえ、公人たる議員には、反論よりもまず市民への説明責任が優先されるべきです。市政に空白を生むことは、報道被写体であること以上に市民への損失だからです。
誓約と責任の重さ
仕事を通じて社会貢献する多くの人の中でも、特に責任ある立場にある者は、プライベートを犠牲にしてでも公務を優先すべき瞬間があります。議員が「市民のために働く」と約束した以上、その約束を放棄する選択は許されません。
奥間綾乃氏の今回の行動は、公約と責任感の間に大きなズレを生じさせました。政治家も人間だという言葉を盾に責任を放棄してはいけません。公人を志す者には、公約に背かない姿勢こそが最優先で求められるのです。