2025-10-08 コメント投稿する ▼
公約沖縄県議会で中谷防衛相発言撤回求める意見書案否決
自衛隊員に対し個人攻撃や暴言を浴びせる行為を、市民運動として正当化することは到底許されないという声が広がっている。 県政与党の当山勝利県議(沖縄社会大衆党)は「防衛相が表現の自由を否定するような発言をした」と批判したが、議会は最終的に反対多数で意見書案を否決した。
沖縄県議会、知事派が「防衛相発言撤回」を要求も否決
沖縄県議会は10月9日、本会議で中谷元防衛相の発言撤回と謝罪を求める意見書案を審議した。玉城デニー知事を支持する与党会派が提出したが、採決では賛成少数により否決された。
意見書案は、日米共同大規模実動演習の一部が市民団体の抗議行動で中止に追い込まれたことを受けてのものだ。中谷氏が「自衛隊への過度な抗議、妨害行為が続いており、大変遺憾」と述べたことに対し、「抗議活動を妨害行為と決めつけるのは表現の自由の侵害であり、恫喝的圧力だ」として撤回を求めた。
しかし、この主張には「市民活動」と「実質的な妨害行為」を混同しているとの批判が相次いだ。自衛隊員に対し個人攻撃や暴言を浴びせる行為を、市民運動として正当化することは到底許されないという声が広がっている。
「抗議」と「ヘイト」の境界線を越えてはいけない
訓練や移動の現場では、隊員がののしられたり、撮影されてネット上で晒されたりするケースが報告されている。中には制服姿の隊員に対し「人殺し」「出ていけ」といった暴言を浴びせる行為もあり、明らかに個人への攻撃にあたる。
「自衛隊員も人間だ。国を守るために働いているだけなのに」
「抗議は自由でも、個人を傷つける言葉はヘイトそのもの」
「平和の名の下に誰かを攻撃する行為は本末転倒だ」
「子どもが隊員を見て怖がるような空気を作ってはいけない」
「自衛隊への差別を“正義”と勘違いする風潮が恐ろしい」
こうした現場の実情を無視し、「抗議の自由」を盾に攻撃を正当化する姿勢は、もはや民主主義ではなく暴力的な排除に近い。中谷防衛相の発言は、むしろ現場の安全を守る立場として当然の指摘である。
「表現の自由」の名を借りた圧力
意見書案の中では、「政府が言論統制を行った戦前を忘れてはならない」との文言が盛り込まれた。しかし、現在の状況は統制ではなく、むしろ逆に「自衛隊を黙らせる圧力」が社会に広がっている。
防衛関係者によれば、一部の抗議グループは訓練ルートに立ち入り、車両の通行を妨げたり、撮影した映像をSNSで拡散して職員を特定するなど、明らかに安全を損なう行為を繰り返しているという。こうした状況を踏まえれば、「妨害行為」という中谷氏の表現は事実認識として妥当だ。
一方、県政与党は「発言が表現の自由を否定している」と主張するが、実際には一部活動家による威圧的行為こそが、他者の自由と尊厳を奪っている。市民活動という言葉のもとに、特定の職業や立場の人間を攻撃することは差別であり、人権侵害に等しい。
議会が守るべきは誰の権利か
県政野党の下地康教県議(自民党)は討論で、「抗議と妨害は別物だ。中谷氏の発言は恫喝ではなく、事実の指摘にすぎない」と反論した。県政与党の当山勝利県議(沖縄社会大衆党)は「防衛相が表現の自由を否定するような発言をした」と批判したが、議会は最終的に反対多数で意見書案を否決した。
この判断は当然である。自衛隊員は国家公務員として国防を担う立場にあり、個人への攻撃は国家機関への攻撃でもある。そうした行為を「市民活動」と呼び、政治がそれを擁護する構図は民主主義の歪みだ。議会が採択を見送ったことは、最低限の常識を保った結果だと言える。
日本の安全保障を語る上で、異なる意見の存在は健全だ。しかしその議論の中で、立場の違う人を侮辱し排除するような風潮が広がれば、社会全体の寛容さが失われる。県民が守るべきは「言葉の暴力」ではなく、互いの尊厳だ。
市民社会の責任と民主主義の成熟
今回の意見書提出は、沖縄社会の一部で根強い反基地感情を背景にしている。しかし、その感情を理由に自衛隊員個人を敵視するのは違う。平和を訴える側こそ、憎悪や差別を広げない責任を持たなければならない。
政治家や議会が「抗議」を美化するあまり、現場の暴力的実態を見ないふりをすれば、それこそ民主主義の崩壊だ。異なる考えを持つ人に敬意を払い、理性と対話によって社会を築くことが、真の「市民活動」である。
自衛隊員への攻撃を「市民の声」と呼ぶ時代であってはならない。今回の意見書案が否決されたのは、まだ理性が残っている証だ。今こそ沖縄県議会も、市民社会も、言葉と行動の線を明確に引くべき時である。
この投稿は玉城デニーの公約「辺野古新基地建設の断念」に関連する活動情報です。この公約は8点の得点で、公約偏差値35.3、達成率は0%と評価されています。