2025-10-20 コメント投稿する ▼
高市早苗総裁、村山富市首相に「勝手に謝っては困る」1994年予算委で追及
1994年10月12日の衆院予算委員会で、高市氏は村山首相氏に対し、「具体的にはどの行為を指して侵略行為と考えているのか」と質問しました。 高市氏は「法的根拠のある過ちということではないか」とさらに追及しましたが、村山首相氏は「何法に対して言っているのか理解できない」と応じました。
侵略の定義を巡る激しいやり取り
1994年10月12日の衆院予算委員会で、高市氏は村山首相氏に対し、「具体的にはどの行為を指して侵略行為と考えているのか」と質問しました。村山首相氏は「日本の軍隊が中国本土や東南アジアの諸国に攻め込んでいった行為を指して侵略的な行為と申し上げている」と答弁しました。
高市氏は「法的根拠のある過ちということではないか」とさらに追及しましたが、村山首相氏は「何法に対して言っているのか理解できない」と応じました。高市氏は当時、村山首相氏自身が第二次世界大戦中に兵役に就いていた際、侵略行為への参加の自覚があったかどうかも質問しました。
村山首相氏は「当時はそういう教育を受け、国のために一生懸命頑張ろうという気持ちで参加した」と述懐しました。高市氏はこの答弁を受けて、「つまり、侵略行為への参加という自覚はその当時持っていなかったということ」と指摘し、首相という地位にある人が50年前の政権の決定を断罪し、納税者や命をささげた人々のしたことを過ちと決める権利があるのかと村山首相氏に迫りました。
「高市さんの質問は鋭かったけど当時は若かったんだよね」
「村山首相に謝る権利があるのかって聞いてるの面白い」
「こういう議論が国会であったこと自体が興味深い」
「でも結局村山談話は出されたわけで歴史は動いたんだな」
「高市さんも今は総裁なんだから当時の主張貫くのかな」
村山首相氏は「当時の軍閥や指導者のやってきたことについては大きな誤りを犯したのではないかと言わざるを得ない」と答えました。しかし、高市氏は「アジアの人々に対してのみならず、侵略行為に加担させられた英霊に対しても謝罪の意を表明していただけないか」と求めました。村山首相氏は「私自身がそういう方々にここで謝罪をしなきゃならぬという立場にあるかどうかはもう少し慎重に考えさせてもらいたい」と述べるにとどまりました。
国民的議論の不在を批判
高市氏は質疑の最後に、日本に過ちがあったとする責任の所在について個人名を挙げて答えるよう求めました。村山首相氏は「軍国主義と言われた日本の国家における当時の指導者は全てやはりそういう責任があるのではないか」と答えました。
高市氏はさらに、「50年前の当時の指導者がしたことを過ちと断定して謝る権利が、現在50年後にこの国を預かっている村山首相にあるとお考えか」と質問しました。村山首相氏は「日本の国の首相として、被害を与えた方々に対しては大変申しわけなかったと反省の気持ちを表すのは当然ではないか」と述べました。
高市氏は「私自身も、アジアの人々や先の大戦で犠牲者になられた多くの日本の人々に対して、政治家として本当に大変なことでしたと、これから前向きにともに過去を反省しながらやっていきましょうという気持ちを表すことには何ら異存はない」と前置きした上で、「果たしてそこに至るまでの国民的な議論があったかどうか。何をもって侵略行為と言うのか、何が過ちなのか、この辺が明確に見えないと、勝手に代表して謝ってもらっちゃ困る」と強調しました。
村山談話の発表と今日への影響
高市氏の厳しい追及にもかかわらず、村山首相氏は翌1995年8月15日、戦後50周年記念式典で「村山談話」を発表しました。談話では「国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えました」と明記し、「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と述べました。
村山談話は閣議決定され、日本政府の公式見解として以後の歴代内閣に引き継がれることになりました。小泉純一郎首相氏、安倍晋三首相氏らも村山談話を踏襲する姿勢を示し、日本の歴史認識の基本的な枠組みとなりました。
高市氏は2013年に自民党政調会長だった際、村山談話について「侵略という文言を入れているのはしっくりきていない」と発言し、政府・与党内から批判を受けた経緯があります。その後、「誤解を招く発言は厳に慎んでもらいたい」との指摘を受け、発言を控える姿勢を示しました。
村山元首相氏は2025年10月17日、老衰のため大分市内の病院で死去しました。101歳でした。自社さ連立政権を率いて戦後50年の節目に歴史的な談話を発表し、日本の戦後外交に大きな影響を与えた政治家として記憶されることになります。高市総裁氏が31年前に厳しく追及した村山元首相氏との因縁は、今も日本の歴史認識をめぐる議論の一部として語り継がれています。