2025-10-07 コメント投稿する ▼
【上野千鶴子氏発言めぐる論争】女性首相祝福とフェミズム理念のズレ
女性首相誕生を「性別だけで祝うべきではない」との視点を示したと受け取られたこの発言に対し、「女性首相は喜ぶべき」「理念と現実が乖離している」といった評価が交錯している。 上野氏のように理念や構造批判を重視する立場からすれば、性別による象徴性だけをもって評価することは、フェミニズム本来の批判性を薄める危険がある。
上野千鶴子氏の発言をめぐる“フェミニズムのズレ”論争
著名な社会学者でジェンダー論研究の第一人者、上野千鶴子氏の発言をめぐり、Yahoo!ニュースのコメント欄で論争が白熱している。女性首相誕生を「性別だけで祝うべきではない」との視点を示したと受け取られたこの発言に対し、「女性首相は喜ぶべき」「理念と現実が乖離している」といった評価が交錯している。発言の背景と論点、そして今後の課題を整理する。
発言の文脈と伝えられ方
上野氏は、女性が首相になること自体を性別軸だけで歓迎する論調に慎重な立場をとる意見を表明したという解釈が広がった。すなわち、「女性であること」だけが理由でリーダーとして歓迎する風潮には疑問を呈するというものだ。
彼女は長年、家父長制構造・性別役割意識・ジェンダー構築の理論を批判的に論じてきた。彼女の主張の根底には、性別だけでは改革を保証できないという危機感がある。
にもかかわらず、コメント欄では以下のような声が飛び交った。
「女性首相の誕生は歴史的な出来事なので、素直に喜ぶべきだと思います。」
「フェミニズムの理念と現実の行動にズレを感じることがあります。」
「女性の活躍の形は一つではなく、多様な生き方が尊重される社会であってほしいです。」
これらの反応は、「象徴的意味」を重視する層と、「政策・思想の整合性」を問う層との溝を浮き彫りにしている。
理念と現実のズレをどう見るか
◆ 理念重視派の視点
上野氏のように理念や構造批判を重視する立場からすれば、性別による象徴性だけをもって評価することは、フェミニズム本来の批判性を薄める危険がある。性別だけで迎える風潮は、政治家の思想や政策を軽視する傾向につながりかねないという見方だ。
◆ 現実重視派・感情重視派の視点
一方でコメント欄の支持派には、まず歴史的事件として祝いたい、あるいは先駆者を象徴として称えたいという感情が強い。「まずは女性リーダーを出すこと自体が意味を持つ」という価値観だ。政策や思想の批判以前に、「女性の声が上に出やすくなること」が重要だという主張でもある。
こうした対立は、フェミニズム運動内部にも古くから存在する「純粋性重視 vs 実利主義重視」の軋轢と重なる。理論と実践の間に挟まれる葛藤だ。
保守系女性リーダー批判をめぐる論点
上野氏が特に問題視したとされるのは、保守傾向を持つ女性リーダーを無批判に支持する風潮だ。性別が理由で支持を集める風潮を、「象徴主義的支持」と批判的に見る立場と解される。
これに対し、反対意見には「女性も保守的思想を持ってよい」「思想・政策で選ぶべきだ」という主張がある。要するに、「性別優先主義への反発」が、思想を問う立場と結びつく構造だ。
さらに、リーダーとなる女性がどのような政策を打つか、どのようなジェンダー観を持つかは、性別だけでは十分に評価できない。ゆえに、「女性=進歩的」という前提への警戒感が出るわけだ。
今後の焦点と課題
この論争は、単に批判・擁護の応酬にとどまらない。以下の点が今後の注目点となる。
1. リーダーの政策・思想と性別の関係性
性別を理由にリーダーを評価する構図を超えて、具体的な政策・価値観との整合性をどのように評価するか。
2. フェミニズム内部の対話と分岐
象徴的・感情的支持を否定せず、それを理念批判とどう結びつけて語るか。流派・潮流の衝突をどのように統合できるか。
3. 女性政治参画の多様性
すべての女性が同じ思想やペースで運動に乗るわけではない。保守傾向の女性リーダーをどう位置づけ、どう議論するか。
4. 社会風土と受容性
象徴性の受容度、性別に対する期待の変化、ジェンダー観の世代間ギャップなどが、発言受容性に影響する。
上野氏の発言を契機に、コメント欄に見られた「違和感」「期待」「揺らぎ」の声は、現代日本のフェミニズム運動の成熟段階の表れでもある。理念と現実を揺らぎながらも重ね合わせる地平を探る試みとして、この議論は今後も注目され続けるだろう。