2025-07-01 コメント投稿する ▼
北村晴男氏「中国人の帰化はリスク」発言が波紋 参院選会見で保守的持論展開
北村晴男氏が参院選会見で「中国人の帰化はリスク」と発言 背景と波紋
「反日教育を受けた者を帰化させるな」北村氏が持論を展開
帰化政策をめぐる安全保障論と表現の自由のせめぎ合い
「レイシストではない」発言も物議 問われる言葉の責任
日本保守党から参議院選挙の比例代表に立候補を表明した弁護士の北村晴男氏(69)が1日、都内での記者会見にて「中国人の帰化は非常にリスクがある」との持論を展開し、波紋を広げている。
北村氏は、近隣諸国の一部が反日的な教育を国民に施していると主張し、そうした背景を持つ人物が日本に帰化することに対して「国家としての危機管理が必要だ」と訴えた。「左派はレイシストと批判するが、そうではない」と自己防衛するような表現も含め、発言は極めて政治的・感情的に強いインパクトを与えるものだった。
「反日教育を受けた人を帰化させるのは危険」
記者会見の冒頭、北村氏は「日本人に対して苛烈な憎悪をあおる国が近隣にある」と切り出し、具体的な国名こそ明言は避けたものの、その後の発言では明確に中国を念頭に置いていることが明らかとなった。
彼は続けて、「中国は1989年の天安門事件以降、『日本軍がとんでもないことをした』『日本に報復せよ』という教育を進めてきた」と指摘。「小さいころから反日感情をすり込まれた人が、ある日を境に“日本人”になるというのは、国家として危険だ」と述べた。
この発言は、表現こそストレートだが、近年の外国人帰化者の増加と、国家安全保障との関連を論じるものとして、右派・保守層からは一定の支持を集めつつある。
「冷静に考えれば当然の話。国家には国籍の選別権がある」
「中国の教育内容を見れば、警戒するのは当たり前」
「言いづらいことをハッキリ言ってくれてスッキリした」
「帰化制度を厳格化するのは差別じゃない、安全保障の話」
「レイシスト呼ばわりはレッテル貼りでしかない」
「安倍暗殺の再現劇」に言及 帰化政策と道徳の境界線
北村氏はさらに、中国国内で安倍晋三元首相の暗殺を称賛するような文化行事があったという報道を引用し、「子供たちが人を刺す真似をして喜ぶような教育を受けた人間が、日本で政治に関わるようになったらどうなるか」と発言した。
具体的には「高校の文化祭のような場で安倍元首相の暗殺を再現し、拍手喝采していた」事例や、「日本兵を模したかかしを突き刺す遊び」を例に挙げた。これらは国内でも一部報道されていたが、北村氏はそれを“帰化政策の失敗リスク”の象徴と見なしている。
このような表現は過去に政治家や候補者が用いた際、表現の自由と憲法上の人権保障との衝突を招くことが多かった。だが北村氏は、「これは民族差別ではない。あくまでリスク管理の話だ」と強調し、自身への批判に先回りする形で反論も展開した。
国籍とは何か 「移民政策」と「日本人の定義」を問う選挙に
北村氏の主張は、日本社会が直面する“国籍とアイデンティティ”の問題に踏み込むものだ。外国人労働者や移民受け入れの拡大、外国人参政権の是非、そして帰化制度の審査基準――これらの政策はすべて、「日本とは何か」「誰を日本人とするか」という本質的な問いと結びついている。
現在の帰化制度では、5年以上の在留期間や品行方正、安定収入などの要件があり、審査は一定程度厳格とされている。だが北村氏は、その“運用”が形式化し、思想・信条や国家への忠誠といった要素が無視されていると指摘している形だ。
こうした見解は、今後の選挙戦において「保守層のリアリズム」として支持を集める可能性もあるが、同時に「排外主義」と受け取られるリスクも伴う。発言の一語一句が大きな政治的意味を持つだけに、北村氏の主張がどこまで国民的議論を生むかが注目される。
「レイシストではない」と自ら語る時点で立場は問われる
記者会見の最後、北村氏は「こういうことを言うと、左派活動家やメディアはすぐに“レイシスト”だとレッテルを貼るが、私は差別主義者ではない」と述べた。
しかし、こうした“自己免責”とも言える発言が、かえって論争を呼びやすくするのは過去の事例でも明らかだ。発言者自身の意図がどうであれ、「差別と区別の線引き」が曖昧になった時、政治の場に分断と憎悪を持ち込むことになりかねない。
国籍を持つとは何か。帰化とは何を意味するのか。そして、国家はどこまで“心”を測るべきか――。北村氏の発言は、単なる炎上狙いにとどまらず、制度的・倫理的な議論を突き付けている。