2025-10-26 コメント投稿する ▼
弁護士北村晴男氏がヤジ擁護の小西洋之氏を一蹴 「子供に見せたくない」国会の品格を問う
ですので、『人の話を聞いていない』ということは一切ありません」と述べ、「意義のあるヤジは演説内容を深く理解しないとできないものです」と主張しました。 演説を聞き取り不可能にするほどのヤジは、議論ではなく、単なる妨害行為に過ぎません。 首相ではなく、**演説を妨害する側の議員たちが、議会の品格を傷つけたのです。
弁護士北村晴男氏の「二文の断定」が問い掛けるもの
日本保守党の北村晴男参院議員(69)は、弁護士として多くの事件を手掛け、1992年から法律事務所を設立・運営する一方、2000年からテレビ番組に出演するなど、法律の専門家として社会的な発言も多く行ってきた人物です。2025年10月26日、この著名な弁護士が自身のX(旧ツイッター)に投稿した内容が、国会の在り方をめぐる大きな論議を呼び起こしました。
高市早苗首相が2025年10月24日に国会で就任後初の所信表明演説を行った際、開口する前からヤジが飛び交い、演説の冒頭から高市氏の言葉は度々かき消される状況が続きました。野党席から「裏金問題解決しましょう」「統一教会はどうなっているのか」などの怒号が相次ぎました。
この一連のヤジについて、立憲民主党の小西洋之参院議員は長文でヤジを擁護する投稿を行いました。小西氏は「ヤジは非常に重要な国会議員の議会活動です」と主張し、「裏金問題解決しましょう」というヤジについては「自民・維新連立の高市政権の最大の欺瞞を鋭く突いて、実際に、高市総理の動揺を引き出した素晴らしいヤジだと思います。これぞ、議会政治であり、このヤジを放った議員は国民代表として称賛されるべきだと思います」と記しました。
北村氏は、この小西氏の投稿に対し、容赦ない批判を行いました。小西氏の長文での理屈立てに対し、北村氏はわずか二文で「恥ずかしい国会の姿」と断定し、「子供達には見て欲しくない」と述べたのです。この簡潔な指摘は、多くの国民の心情を代弁するものとなりました。
ヤジ擁護論の「虚構性」を見抜く
小西氏は、自らのヤジを正当化するために複数の根拠を提示しました。「議員は手元に総理の演説原稿が配られています。事前に入手もできることもあります。ですので、『人の話を聞いていない』ということは一切ありません」と述べ、「意義のあるヤジは演説内容を深く理解しないとできないものです」と主張しました。
しかし北村氏の指摘は、こうした理屈をすべて無効にするものです。演説原稿を事前に受け取ることと、演説中に怒号で相手を妨害することは、全く別の問題です。理解したうえで相手を尊重し、静かに聞くことは、民主主義の基本的なマナーであり、議会政治の最低条件であるはずです。
小西氏はさらに憲法上の根拠も示しました。「憲法において国会は総理大臣を監視監督する責務を負っており、個々の国会議員はそれを遂行する責務を負っています。ようするに、総理の本会議演説はそれが丸ごと国会の監視監督の対象なのです。国権の最高機関を構成する国会議員がうやうやしく拝聴する対象ではないのです」と主張しました。
しかし、監視監督の責務と、演説中に怒号で妨害する権利は無関係です。正当な批判や質疑は、静かに演説を聞いた上で、所定の手続きに基づいて行うべきものです。委員会質疑や代表質問といった、ルール化された場がいくらでも存在します。演説を聞き取り不可能にするほどのヤジは、議論ではなく、単なる妨害行為に過ぎません。
「ヤジが正当だという理屈は、どう考えても無理がある」
「演説を聞いた上で批判するのが民主主義。聞けなくするのは民主主義の敵」
「子供に見せられない行動を国会議員がやってはいけない」
「質問の時間だってある。なぜルール無視するのか理解できない」
「北村氏の指摘は法律家としての常識的判断だと思う」
国民が見たもの――議会の品格の喪失
演説中、高市首相は口を一文字に結び、何かをのみ込むような表情を見せるなど、ヤジの影響が明らかでした。この首相の表情こそが、今回の問題の本質を物語っています。首相ではなく、演説を妨害する側の議員たちが、議会の品格を傷つけたのです。
ネット上では「小学生でも静かにできるぞ 小学生以下か」「下品すぎる」「大人なんだから、まず聞こうよ」「普通に大人として恥ずかしい」といった投稿が相次ぎ、「ヤジ議員」がXのトレンド1位に急浮上しました。国民が立腹している様子が目立ちました。
タレントのフィフィ氏は「国民の聞く権利の侵害です。ちゃんと聞きたいのに集中できない」とX上で怒りを表明しています。これは、ヤジの擁護論が完全に見落としている、最も重要なポイントです。
ヤジに「必要性」も「正当性」もない
国会では従来から「ヤジは議場の華」と呼ばれてきました。しかし、その伝統を盾に、演説を成立させないほどの継続的な怒号を正当化することはできません。
北村氏が「子供達には見て欲しくない」と述べたのは、単なる感情的な批判ではなく、法律の専門家としての明確な判断です。北村氏は、企業の社外取締役や破産管財人などを務める実務経験豊かな弁護士です。そうした人物が、わざわざ国会の映像を「子供に見させたくない」と明言するほど、今回のヤジは常識を逸脱していたのです。
ヤジは、演説を聞いた上での異議唱和であるべきです。演説を聞き取り不可能にするものは、議論ではなく、単なる妨害です。小西氏が幾ら理屈を重ねようとも、この基本的な事実は変わりません。
北村氏の二文の指摘が、多くの国民から支持されるのは、それが明らかに正しいからです。民主主義を標榜する政治家が行うべきは、相手を尊重した上での正当な批判であり、演説を妨害する怒号ではありません。議会の品格を取り戻すことは、今の国会に最も求められる課題なのです。
 
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
			       
                    