2026-02-12 コメント: 2件 ▼
落選の藤原規眞氏「野田代表でなければ立憲は存在していた」無念の投稿
藤原氏は、党代表選への立候補を回避した泉健太氏への思いをつづり、2024年9月の立憲民主党代表選で野田佳彦氏ではなく泉氏が選ばれていれば、立憲民主党は解体されることなく存続していたと主張しました。 立憲民主党の代表を務めていた泉氏は、中道改革連合の代表選への立候補を見送りました。
藤原氏は、党代表選への立候補を回避した泉健太氏への思いをつづり、2024年9月の立憲民主党代表選で野田佳彦氏ではなく泉氏が選ばれていれば、立憲民主党は解体されることなく存続していたと主張しました。この投稿は、野田氏の責任を厳しく問うものとして注目を集めています。
「代表時代の泉さんにいちばん楯突いていた私だが」
藤原氏は、泉健太氏が中道改革連合の代表選への不出馬の理由をつづった投稿を引用し、こう書き出しました。
「一昨年、私は立憲民主党(当時)の代表選で泉健太さんを本気で応援した。代表時代の泉さんにいちばん楯突いていた私だが、泉さんを引き摺り下ろすことに何らの道理も感じなかったからだ」
藤原氏は自身が泉氏の代表時代に批判的な立場を取っていたことを認めながらも、2024年9月の代表選では泉氏を「本気で応援した」と明かしました。それは、泉氏を引き摺り下ろして野田氏を代表に選ぶことに「何らの道理も感じなかった」からだといいます。
旧立憲民主党は2024年9月に代表選を実施しました。再選を目指していた当時の代表だった泉氏のほか、元首相の野田佳彦氏、前代表の枝野幸男氏、吉田晴美氏が立候補し、野田氏が勝利しました。泉氏は決選投票にも進めず代表から退きました。
「藤原氏の言う通り、野田代表選ばなければ立民は残ってたな」
「泉さんを楯突いてた人が本気で応援って、よっぽどだったんだな」
「無念だって気持ち、わかるわ」
「野田氏に代表選で勝たせた議員、全員責任あるだろ」
「立憲解体したの、マジで野田氏のせいだよな」
野田氏が代表でなければ立民は存在していた
藤原氏の投稿の核心は、次の一文です。
「あの時、選ばれた代表が野田さんでなければ。少なくとも今も立憲民主党は存在していただろう。無念だ」
この発言は、野田氏が代表に選ばれたことが立憲民主党の解体につながったと明確に主張するものです。野田氏は代表就任後、公明党との連携を急速に進め、2026年1月16日に中道改革連合を結成しました。これにより、立憲民主党は衆議院では事実上消滅しました。
藤原氏の主張によれば、もし泉氏が代表に再選されていれば、公明党との新党結成という選択肢は取られず、立憲民主党は独自の道を歩んでいたはずだということになります。泉氏は公明党との連携に慎重な姿勢を示していたとされ、野田氏とは異なる戦略を取っていた可能性が高いと言えます。
泉氏は代表選不出馬
立憲民主党の代表を務めていた泉氏は、中道改革連合の代表選への立候補を見送りました。
泉氏は記者団に「私自身は機が熟していない。党を立て直したいという思いを持った仲間がいたので、そういった声も尊重したい」と述べ、不出馬の意向を明らかにしました。党内には泉氏を推す声もありましたが、泉氏自身が固辞した形です。
中道改革連合の代表選には、立憲民主党出身の小川淳也氏(54)と階猛氏(59)が立候補しました。階氏は岩手1区で自民候補を下して勝ち上がった数少ない小選挙区当選者の一人です。12日に告示され、13日に投開票が行われる予定です。
愛知10区で落選
藤原氏は2月8日の衆院選で、愛知10区から中道改革連合の公認候補として立候補しましたが、落選しました。
愛知県は「民主王国」と呼ばれ、民主党系の候補者が強い地域として知られていました。しかし今回の衆院選では、中道改革連合は愛知の16選挙区で全敗に終わりました。これは、中道改革連合の惨敗を象徴する結果となりました。
藤原氏の落選は、野田氏が主導した公明党との新党結成が有権者に受け入れられなかったことを示しています。藤原氏が「無念だ」とつづったのは、自身の落選だけでなく、立憲民主党という政党そのものが消滅してしまったことへの無念さでもあるでしょう。
大物たちが軒並み落選
自民党大勝のあおりを受け、中道改革連合は公示前の167議席から49議席へと、100議席以上の大激減となりました。
同党では、安住淳氏のほか、小沢一郎氏や岡田克也氏、枝野幸男氏、馬淵澄夫氏ら旧民主党時代からの大物たちが軒並み落選しました。これは、立憲民主党の歴史を支えてきた重鎮たちが一斉に議席を失ったことを意味します。
特に注目されるのは、野田氏が代表選で破った枝野幸男氏も落選したことです。枝野氏は埼玉5区で落選し、比例復活もできませんでした。藤原氏が「代表時代の泉さんにいちばん楯突いていた私」と表現したように、立憲民主党内には様々な派閥や意見の対立がありましたが、野田氏の判断が全てを水泡に帰した形となりました。
立民出身者は21人のみ
中道改革連合の惨敗で最も深刻なのは、立憲民主党出身の当選者が21人にとどまったことです。
公明党出身者は候補全員が当選確実となり、2024年の前回衆院選を上回る28議席を獲得しました。立民から中道に合流した前職は144人いましたが、当選者は21人と7分の1ほどの規模に縮小しました。
これは、野田氏が主導した公明党との新党結成が、比例名簿の配分で公明党を優遇し、立民出身者を冷遇した結果です。公明党出身者を全国11ブロックすべての比例代表名簿で1位に搭載するなど優遇したため、小選挙区で落選した立民出身者の多くが比例復活できませんでした。
藤原氏のように愛知で落選した立民出身者は、比例復活の機会すら与えられませんでした。これは、野田氏の戦略の失敗を如実に示しています。
「無念だ」の重み
藤原氏の「無念だ」という言葉には、いくつもの意味が込められています。
第一に、自身が落選したことへの無念さ。第二に、立憲民主党という政党が消滅したことへの無念さ。第三に、野田氏ではなく泉氏が代表に選ばれていれば避けられたはずの事態が起きてしまったことへの無念さ。
藤原氏は「代表時代の泉さんにいちばん楯突いていた私だが」と自身の立場を明かしています。これは、泉氏と政策や方針で対立することがあったとしても、それは立憲民主党という枠組みの中での健全な議論だったということを示唆しています。しかし、野田氏の判断により、そのような議論の場すら失われてしまいました。
13日に選出される中道改革連合の新代表は、藤原氏のような落選者の無念さを背負いながら、党の再建に取り組むことになります。しかし、「中道の看板では次の選挙は戦えない」との声もある中で、再建の道は極めて険しいと言わざるを得ません。
藤原氏の投稿は、野田氏への批判であると同時に、立憲民主党の歴史に終止符を打った2024年9月の代表選を振り返る、貴重な証言となっています。
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