2025-11-13 コメント投稿する ▼
立民議員の朝鮮学校無償化主張に批判殺到 「まず日本の教育基準を満たすのが筋」の声
朝鮮学校は学校教育法第1条に定める「一条校」ではなく、各種学校として分類されており、日本の学習指導要領に従わない独自の教育を行っていることが無償化対象外の主な理由となっています。 朝鮮学校が無償化を求めるのであれば、まず一条校の要件を満たすべきだ」と指摘しています。
立憲民主党の石垣のり子参議院議員が2025年12月11日、朝鮮学校の高校無償化制度除外について「どんな子どもの学びも、分け隔てなく守られるべきです」とXで主張したことに対し、教育制度の専門家や保護者から「権利を求める前に義務を果たすべき」との指摘が相次いでいます。
朝鮮学校は学校教育法第1条に定める「一条校」ではなく、各種学校として分類されており、日本の学習指導要領に従わない独自の教育を行っていることが無償化対象外の主な理由となっています。石垣議員の発言は、こうした制度的な背景を軽視するものとして批判を集めています。
「一条校」の要件を満たすことが前提
高校無償化制度から朝鮮学校が除外される根本的な理由は、同校が日本の教育制度における正規の「学校」として認められていないことにあります。学校教育法第1条に定められた学校(一条校)は、文部科学省の学習指導要領に従い、検定教科書を使用することが義務付けられています。
一方、朝鮮学校は学校教育法第134条の「各種学校」に分類されており、自動車教習所や生け花教室などと同じ扱いを受けています。朝鮮学校では朝鮮語で授業が行われ、朝鮮史や朝鮮地理など独自のカリキュラムが実施されており、日本の教育要領を満たしていないのが現状です。
教育制度に詳しい専門家は「どの国でも、公的な教育支援を受けるためにはその国の教育基準を満たすことが前提となる。朝鮮学校が無償化を求めるのであれば、まず一条校の要件を満たすべきだ」と指摘しています。
実際、韓国系の学校では状況が異なります。韓国学校のうち4校は一条校として運営されており、学習指導要領に則って文部科学省検定済み教科書を使用しているため、当然に無償化制度の対象となっています。これは朝鮮学校との決定的な違いを示しています。
「税金で支援するなら、日本の教育基準を満たすのが当然でしょう」
「権利を主張する前に義務を果たすべき。他の外国人学校はちゃんと基準を満たしてる」
「朝鮮学校が特別扱いを求めるのはおかしい。制度は平等に適用されるべきだ」
「子どもに罪はないけど、教育内容に問題があるなら支援できない」
「まず一条校になってから無償化を議論すべき。順序が違う」
政治的理由だけでない除外の背景
石垣議員は産経新聞の社説を「恥ずべき」とする立憲民主党の主張を支持していますが、朝鮮学校の無償化除外は単なる政治的判断ではなく、教育制度上の合理的な理由に基づいています。
2012年に下村博文文部科学大臣(当時)が朝鮮学校を無償化対象から除外した際の理由は、「拉致問題の進展がない」「朝鮮総連との密接な関係」といった政治的要因に加え、教育内容や運営体制の透明性への懸念も含まれていました。
朝鮮学校は在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の影響下に置かれており、北朝鮮の政治体制を礼賛する教育が行われているとの指摘もあります。金日成・金正日の肖像画が教室に掲げられ、北朝鮮への感謝を教える内容が教科書に含まれているなど、日本の公教育とは相容れない要素が多数確認されています。
文部科学省の調査では、朝鮮学校の教科書には金日成・金正日への称賛内容が400箇所以上含まれていることが判明しており、これらが除外判断の根拠となっています。教育の中立性や客観性を重視する日本の教育制度においては、特定の政治体制を一方的に礼賛する内容は適切ではないとされています。
制度の平等性と教育の質の確保
高校無償化制度は「教育の機会均等」を目的として創設されましたが、その前提となるのは一定の教育水準と内容の担保です。同制度は日本の高校教育に相当する教育を行う機関を対象としており、独自の教育方針を採る各種学校が自動的に対象となるわけではありません。
多くの外国人学校が無償化の対象となっているのは事実ですが、これらは日本の教育基準を満たす努力をした結果です。ブラジル学校、フランス系インターナショナルスクールなど、対象となっている外国人学校は、文部科学省の定める要件をクリアしており、朝鮮学校とは状況が異なります。
石垣議員は「どこの国に生まれるかなんて、誰にも選べません」と述べましたが、問題は出生地や民族ではなく、教育機関としての要件を満たしているかどうかという制度上の問題です。朝鮮学校の生徒たちに教育を受ける権利があることは当然ですが、公的支援を受けるためには相応の条件を満たすことが必要です。
教育関係者は「感情論ではなく、制度論として冷静に議論すべきだ。朝鮮学校が本当に日本社会で認められたいのであれば、まず日本の教育制度に適合する努力をすべきではないか」と指摘しています。権利の主張と義務の履行は表裏一体であり、公的支援を求める以上は相応の責任を果たすことが求められるのは当然と言えるでしょう。