2025-08-23 コメント: 1件 ▼
大椿ゆうこ氏が街頭演説を批判 一方で「抗議が正義」視する風潮に懸念も
大椿ゆうこ氏、街頭演説を「ヘイトスピーチ」と批判
社民党副党首の大椿ゆうこ前参院議員がSNSで、街頭演説を行う一部政治家の姿勢を批判した。大椿氏は「抗議する側を否定的に捉え、政治家という立場を利用し、街頭演説という名のヘイトスピーチを垂れ流す政治家の方を徹底追及しないのはなぜ?」と投稿し、政治家自身が市民を排除する言葉を発していると指摘した。
大椿氏の問題提起は「政治家の発言が市民に与える影響力の大きさ」に焦点を当てている。しかし、その一方で「本当にそれがヘイトスピーチにあたるのかどうかを判断する主体は誰なのか」という根本的な疑問も浮かび上がる。
抗議と演説の境界線
抗議活動は市民の権利であり、民主主義における重要な手段であることは確かだ。だが、選挙や街頭演説の場は、候補者や政治家が自らの政策を訴え、国民の判断を仰ぐための場である。本来「ヘイトスピーチ」に該当するか否かを判断するのは、司法や適切な第三者機関であり、活動家やその場の抗議者ではない。
選挙演説を直接妨害することが「正義」とされてしまえば、民主主義の基盤そのものが揺らぐ。演説が気に入らなければ抗議でかき消すという行為は、言論の自由を尊重する社会の原則に反する。こうした行為を擁護する政治家がいること自体が、むしろ民主主義に対する脅威といえる。
ネットの反応
今回の大椿氏の発言に対し、ネットでは賛否両論が渦巻いている。
「確かに政治家の発言は大きな影響力を持つ、だからこそ監視が必要」
「抗議を正義と見なして演説を妨害するのは本末転倒」
「ヘイトかどうかは活動家が決めるものではない」
「表現の自由と抗議の権利、どちらも守る仕組みが必要」
「政治家自身が抗議を扇動する姿勢は危険だ」
支持の声がある一方で、「判断の場を取り違えているのではないか」という批判も目立つ。
政治家の責任と民主主義の尊重
政治家の発言が市民を傷つける可能性があることは否定できない。しかし、発言の是非を判断するのはあくまで制度と法のもとであり、街頭演説の場を抗議によって封じることではない。民主主義は「聞きたくない意見に耳を傾けること」を前提としており、それを拒む姿勢は社会の健全性を損なう。
大椿氏が訴える「政治家への監視」は重要であるが、その延長線上で「演説を妨害する抗議を正義と考える」ような風潮が広がるなら、民主主義の土台を掘り崩すことになりかねない。むしろ求められるのは、冷静な議論と制度に基づいた対応である。