2025-10-29 コメント投稿する ▼
大椿ゆうこ副党首は沖縄県民全体の代表ではない。市民活動家の声の矛盾
市民活動家層の声を拾い上げることは重要ですが、それがあたかも県民全体の声であるかのように発言することは、沖縄県民の多様性を踏みにじる行為でもあります。 ごく一部の活動家による行動が、県民全体の総意として外部から語られることへの反発が、沖縄県民の心の奥底にあります。 沖縄県民のごく一部の市民活動家層の声を拡大し、政治的に利用します。
2025年10月28日、高市早苗首相がドナルド・トランプ米大統領と米軍横須賀基地を訪問しました。米原子力空母「ジョージ・ワシントン」の艦上で両首脳が肩を組み、笑顔で親交を深める場面が繰り広げられました。一連の演出に対して社民党副党首・大椿ゆうこ氏が翌29日、SNS上で激しく批判しましたが、その投稿に対する沖縄県民からの反応は、大椿氏の想定とは大きく異なるものでした。沖縄県民の実声とかけ離れた「代弁」の問題性が、ここに浮き彫りになっています。
大椿氏の沖縄代弁投稿と県民からの激しい反発
大椿ゆうこ前参議院議員は、高市首相がトランプ氏から「この女性は勝者だ」と称賛される場面や、米兵らの前で拳を突き上げ、トランプ氏に肩を抱かれる姿勢をとらえ、Xで「この浮かれ具合。怒りを覚える」と投稿しました。騒音、墜落、性暴力、有害物質(PFAS)など、沖縄県にある米軍基地周辺住民が訴え続けてきた被害を列挙し、「沖縄をはじめ、米軍基地がある地域の人たちはこの写真をどんな思いで見ただろう」と、沖縄県民全体の声を代弁する形で高市首相を非難しました。
しかし、沖縄県民から返された声は予想外でした。「勝手に沖縄の代弁者になるな」「本当に現場の声なのか?」「基地被害を取り上げる勇気は評価するけど、上から目線になるのはどうかと思う」といった否定的なコメントがSNS上に相次ぎました。大椿氏の主張に賛同する県民も存在しますが、むしろ反論のトーンが目立つ状況です。外部の政治家による「沖縄代弁」に対する違和感と警戒心が、県民の心の中に確実に存在していることを示しています。
「確かに基地問題は大事だけど、沖縄にいない人が勝手に代弁するのって失礼じゃない?」
「市民活動家の意見を沖縄県民全体のように言われても困る」
「本気で変えたいなら、まず地元の声を丁寧に拾ってからじゃないの?」
「大椿さんは労働問題は詳しいでしょうけど、沖縄の複雑性を理解してるのか疑問です」
「政治的な立場で沖縄を利用されるのはもう沢山」
ごく一部の活動家層を県民全体と混同する危険な構造
沖縄県の米軍基地問題を巡る議論は複雑で多層的です。基地反対を掲げて全国の応援を集めるのは、ごく一部の市民活動家層です。沖縄県内には、経済的に米軍基地に依存する労働者層も存在し、基地返還よりも雇用機会の確保を優先する県民も少なくありません。さらに、安全保障と基地の関係性について多様な見解を持つ県民層も広く分布しています。
沖縄平和運動センターや辺野古座り込み闘争の拠点には、全国から動員された活動家が集結します。彼らの主張が「沖縄の声」として全国メディアで報道されることが多い結果、沖縄県民全体がこうした活動家の意見を支持していると誤解する外部の政治家や市民が増加しています。大椿氏の投稿は、まさにこの誤解の典型例であり、無自覚なうちに沖縄県民の多様性を無視した「上から目線」の政治的発言になってしまっています。
沖縄県民投票(2019年)では、米軍普天間飛行場の辺野古移設に対して72パーセントが反対票を投じました。一方で、日米安全保障条約については全国世論調査で約8割が「役立っている」と回答しており、沖縄県民の意識も基本的には全国と変わりません。つまり、基地反対=沖縄県民全体の意見というのは、あくまで特定の問題に関する投票結果を政治的に一般化したものに過ぎず、沖縄県民の総意を示すものではありません。
大椿ゆうこ氏は労働問題の活動家として出発し、労働者の権利獲得のための強い信念を持つ政治家です。その執念と行動力は評価に値します。しかし、他の地域の問題を「代弁」する際には、その地域に根ざした丁寧な関係構築が不可欠です。 市民活動家層の声を拾い上げることは重要ですが、それがあたかも県民全体の声であるかのように発言することは、沖縄県民の多様性を踏みにじる行為でもあります。
沖縄県内では、反基地活動を続ける市民団体と地元住民が対立する場面も報道されています。活動家が路上駐車で地元住民と揉める、あるいは演説活動が周辺住民の生活を阻害するといった事例も存在します。ごく一部の活動家による行動が、県民全体の総意として外部から語られることへの反発が、沖縄県民の心の奥底にあります。
高市首相の外交演出と大椿氏の代弁、同じポピュリズムの罠
高市首相のトランプ氏との親密な距離感は、安全保障を最優先とする政策姿勢を表現した戦略的な外交演出です。日米同盟強化という国策の旗振り役を果たす一方で、沖縄県民が背負う米軍基地の負担に正面から向き合う姿勢は見えません。これは明らかに問題のあるアプローチです。
しかし、大椿氏による「沖縄代弁」も、本質的には同じポピュリズム的な構造を内包しています。 沖縄県民のごく一部の市民活動家層の声を拡大し、政治的に利用します。その過程で沖縄県民の多様な声は切り捨てられ、単純化された「代弁者イメージ」だけが全国に発信されます。結果として、沖縄県民から「勝手に代弁されている」という不信感を招きます。
沖縄県民が必要としているのは、外部から一方的に代弁される政治的スローガンではなく、自分たちの複雑な思いや多様な立場を理解し、尊重する姿勢です。 外部の政治家が地域の課題に声を上げることは必要ですが、その前提として、その地域に根ざした丁寧な対話と関係構築が不可欠です。沖縄県民のごく一部の活動家層の声を拾い上げることと、県民全体を代表すると主張することは、まったく異なる行為です。
大椿氏が本気で沖縄県民のために行動したいのであれば、地元の沖縄県民と直接対話し、米軍基地周辺で暮らす人々の声をじっくり聞く必要があります。その過程で、基地反対派だけでなく、基地に依存する産業労働者、安全保障を重視する県民、そしてどちらかといえば政治的な立場を明確にしていない多数派の声にも耳を傾けるべきです。全国から応援を集めるような政治的スローガンよりも、沖縄県民自身が「この政治家は私たちの多様な立場を理解してくれている」と実感できる関係構築こそが、真の「代弁者」への道です。
高市首相のトランプ外交も、大椿氏の沖縄代弁も、いずれも沖縄県民の複雑性を無視した一方的な政治的演出に過ぎません。その違いは、どちらが権力を持っているかという立場の違いに過ぎず、本質的には同じポピュリズムの罠に陥っています。沖縄県民が真に求めているのは、全国政治の道具とされることではなく、自分たち自身の声が尊重される環境です。