2025-09-23 コメント投稿する ▼
白川容子が日本共産党創立103周年記念講演会で決意表明 28年越しの議席と「幸せを諦めない社会」
日本共産党は創立103周年記念講演会を開催し、参議院議員の白川容子が登壇しました。 こうした経験から「命を守るには政治を変えるしかない」と考え、日本共産党に入党しました。 厚生労働委員会では、医療・福祉の制度改革に積極的に取り組む姿勢を明らかにしました。 記念講演会では、小池晃=党書記局長・参議院議員、日本共産党も登壇し、能登半島地震からの復旧遅れを批判しました。
白川容子が語った「幸せを諦めなくてもいい社会」
日本共産党は創立103周年記念講演会を開催し、参議院議員の白川容子が登壇しました。白川は「生きること、幸せになることを諦めなくてもいい社会をつくりたい」と強調しました。初挑戦から28年を経て獲得した議席に込められた思いを語り、医療や福祉の現場から聞いた声を国政に届けると誓いました。
白川は厚生労働委員会に所属し、各地の病院を訪問しています。多くの自治体病院が赤字に苦しむ現実に触れ、「患者の命も地域医療も守れない」との声を紹介しました。自らの経験に基づき、現場を変えるためには政治が責任を果たすべきだと訴えました。
「生きることを諦めなくてもいい社会をつくりたい」
「医療の現場から聞いた命の声を国会に届ける」
「28年越しで手にした議席を必ず生かす」
「命の沙汰もカネ次第という現状を変える」
「全ての人が幸せに生きられる社会を実現したい」
白川の発言は、医療や生活の困難を放置する政治の在り方への強い批判でもありました。
政治を志した原点
白川は幼少期に家庭内暴力に直面し、命の危険を感じた経験を持ちます。その後、働きながら夜間大学で福祉を学び、病院で勤務しました。現場では診療報酬に縛られ「命の沙汰もカネ次第」の状況を目の当たりにしました。労働災害で命を落とした患者の遺体を前に、「これが資本主義だ」と語った同僚医師の言葉が忘れられないと振り返りました。
こうした経験から「命を守るには政治を変えるしかない」と考え、日本共産党に入党しました。以来、歴史を共に刻み、すべての人が安心して暮らせる社会を目指して歩んできたと述べました。
白川容子の議席の意味
28年越しの挑戦の末に得た議席は、本人にとっても支持者にとっても特別な意味を持ちます。白川は「仲間と一緒に勝ち取ったかけがえのない議席」と表現し、苦労を共にした支持者への感謝を示しました。さらに、この議席を現場の声を国会に届けるために使うと誓いました。
厚生労働委員会では、医療・福祉の制度改革に積極的に取り組む姿勢を明らかにしました。赤字が常態化している病院の存続は地域社会に直結する課題であり、現場の声を無視することはできないと強調しました。
他登壇者と寄せられたメッセージ
記念講演会では、小池晃=党書記局長・参議院議員、日本共産党も登壇し、能登半島地震からの復旧遅れを批判しました。また、参議院議員の高良さちか=オール沖縄や前川喜平=元文部科学事務次官らがメッセージを寄せました。いずれも平和や人権の重要性を訴える内容でしたが、会場では特に白川の発言に耳を傾ける参加者が目立ちました。
白川のスピーチは、自らの原体験と28年に及ぶ挑戦の積み重ねを背景にしており、聴衆に強い共感を呼びました。単なる理念の表明ではなく、現場を知る人間としての実感を伴っていたことが印象的でした。
白川は「命を守るには政治を変えるしかない」と繰り返しました。参院議員としてのスタート地点に立った彼女にとって、これからの任期はその理念を現実に落とし込む挑戦となります。医療や福祉の分野で、国民の暮らしに寄り添う政策を提案していく姿勢を示しました。
日本共産党創立103周年という節目にあたり、白川容子は党の歴史を受け継ぎつつ、未来を切り開く存在として注目を集めました。