2025-08-08 コメント: 1件 ▼
「米国が約束破っても日本だけが責められる?」日米関税交渉に見る自民党政権の失態と信頼の崩壊
日米関税交渉、なぜ日本だけが責められるのか?牧原秀樹氏の警鐘と国民の本音
元自民党衆議院議員の牧原秀樹氏が、日米間の関税交渉に対する国内世論の偏りに疑問を投げかけている。日本側の対応ばかりが批判され、アメリカ側の責任を問う声が極端に少ない――そのような論調に対して、彼は「愕然とする」と率直な思いをSNSに投稿した。
日米関税交渉について日本側を非難する声が大きいが、何故米国側を非難する論調がないのか、愕然とする
この発言は、日米双方の交渉経緯と政権の姿勢をめぐる根本的な問題提起だが、一方で多くの国民が抱くのは別の疑念だ。「なぜ日本政府は、口約束の段階で合意したなどと信じ込んでいたのか」「それを文書化しなかった責任は、誰が取るのか」という点である。
「文書化されていない合意」では責任は曖昧なまま
交渉結果を巡っては、春以降の首脳間対話で「自動車の関税を互いに15%に下げる」といった合意があったとされるが、公式文書には記載されず、アメリカ側がその内容を反故にした格好だ。これについて牧原氏は、
交渉結果は明らかでありそれを守っていないのは米側である。それは文書に落とそうが落とさまいが無関係である
と述べ、約束を破った米国に非があるという主張を展開した。
しかし、この見解には疑問も残る。実際に問題視されているのは、口約束で済ませた日本側の姿勢だ。外交交渉において「言った・言わない」の水掛け論に陥ることは致命的であり、明文化されていない合意など国際社会では通用しない。文書化しなかったことが、日本政府としての根本的な判断ミスであるという点は、見過ごすべきではない。
口約束を破るというのは「言った・言わない」の問題でしかない。それと、署名や文書に落とした正式な合意を破るのとでは、信義の重さも責任の所在もまったく異なる。両者を同列に語るのは、あまりに雑で、外交を軽視している姿勢と映る。
米国批判の必要性は理解できるが、それ以上に問われる日本政府の信用
牧原氏が訴える「米国側も批判すべき」という主張は、一定の説得力を持っている。実際、気まぐれな政治判断に振り回される形となった日本は、再び米国依存のリスクを露呈した。牧原氏は、米国側の状況についてこう言及している。
「すべてはトランプ大統領が決める。それは気まぐれだし、恐ろしいのは約束をしても平気で破るし守らない」
「優秀な官僚は嫌気をさして辞め…実現実行する力が著しく低下している」
つまり、今の米国政権は交渉相手としての信頼性に欠け、実務の担い手も流動的で、国としての一貫性を失っているという。これは交渉の相手として非常に不安定であり、日本としても毅然とした対応が求められる。
だが、問題はそこだけではない。多くの国民が問いかけているのは、「そんな相手を前に、なぜ日本政府は慎重な外交をしなかったのか」という点だ。
「アメリカにも責任がある」という議論はもちろん成立する。しかし、それと同時に、「この国の政府は、国民に対してきちんと説明できるような交渉をしていたのか」という問いには、明確な答えが返ってきていない。
自民党政権に「信用」はあるのか?
ここで問われるのは、もはや外交手腕ではなく「政権そのものへの信頼」である。
政権を担う自民党に対しては、「また口約束で失敗したのか」「なぜ文書を取らないのか」「なぜ検証も説明もせず、国民の批判だけを封じようとするのか」といった批判が噴出している。
アメリカを非難すべきだ、という主張には一定の合理性がある。だが、今の自民党政府を本当に信じることができるのか? という国民の素朴な疑問には、誰も正面から答えていない。
そもそも、信頼に足る政府であれば、文書の有無以前に、合意内容をきちんと検証し、公に説明していたはずだ。現政権の対応には、その姿勢がまるで見えない。
「制裁」と「脱アメリカ依存」の選択肢は現実的か?
牧原氏はまた、米国に対して制裁手段を準備し、米国を含まない新たな経済連携体制を構築すべきだとも主張している。
だから私は日本側も制裁手段を用意し、米国抜きの国際経済体制の構築が急務だと申し上げた
理想としては理解できるが、現実に即しているとは言い難い。日米関係は経済・安全保障の両面で極めて密接であり、「脱アメリカ」などというスローガンだけでは乗り越えられない壁がある。
一方で、だからといって盲目的に米国に追従することが「現実的」なのかという疑問もある。重要なのは、外交の現場で自国の立場をどう主張し、相手に呑ませるかという交渉の巧さである。その点で、今回の日本政府の姿勢には、多くの国民が失望している。
矜持と現実を直視した外交を
日本は矜持を持って正々堂々と振る舞うべきで、右往左往せず、卑屈さを払拭することこそ全ての解決の道に通ずる
という牧原氏の言葉は、一見すると力強く響く。しかし、矜持を掲げるならばまず、政府は国民に対して誠実であるべきではないか。説明責任を果たさず、検証もせず、信頼に足る交渉の過程すら示さない――そうした政治の姿勢そのものが、今回のような外交失態を繰り返させている。
日米交渉の行方は今後も注目されるが、必要なのはアメリカ批判ではなく、日本政府自身の「変化」と「覚悟」である。