2025-07-16 コメント投稿する ▼
「運がいい地震」発言に新潟知事が苦言 被災地の怒りと記憶を踏みにじる無神経さ
「言葉の使い方が軽率すぎる」知事が指摘
自民党の鶴保庸介前参院予算委員長による「運のいいことに能登で地震があった」との発言が波紋を広げている。16日、新潟県の花角英世知事はこの件に触れ、「地震そのものを幸運と言ったわけではないだろうが、言葉の使い方が軽率すぎる」と苦言を呈した。
知事はさらに、「このような発言では、あたかも能登で地震が起きたことが幸運だったかのように受け取られてしまう。被災地の感情を軽んじることになりかねない」と懸念を示した。
鶴保氏の発言は、自民党内での会合でのものとされ、政治的な文脈での地震の影響に言及する中で出たとされるが、災害の悲惨さを前に「運が良かった」などという言葉を使ったことに対し、批判が相次いでいる。
「どこが“運がいい”だ。何人亡くなったと思ってるんだ」
「これが自民党の危機意識の程度か…被災地をバカにしてる」
「選挙の話のついでに災害を語るな」
「災害を政治利用する発言はもうやめて」
「軽率じゃ済まされない。即刻謝罪してほしい」
能登地震の爪痕と新潟の傷
能登半島地震では、石川県を中心に甚大な被害が発生したが、隣接する新潟県内でも深刻な被害があった。特に新潟市内では大規模な液状化が発生し、住宅への被害は1万8千棟以上。市内では災害関連死も4人確認されている。
こうした状況下での「運がよかった」発言は、被災者にとってはあまりにも無神経だ。被害の最中にある地域住民にとって、言葉は時に刃にもなる。政治家が発するひと言が、どれだけ現場に影響を及ぼすか、その重さを理解していなければならない。
中越沖地震から18年、なお消えぬ記憶
16日は、2007年7月16日に発生した新潟県中越沖地震からちょうど18年の節目でもある。花角知事は、「災害の記憶をしっかりとどめ、防災に生かしていく努力を続けなくてはいけない」と語り、改めて教訓の継承の必要性を訴えた。
中越沖地震では、死者15人、家屋被害は4万棟を超え、柏崎市をはじめ広範囲にわたり生活が一変した。新潟県にとって災害は「過去のこと」ではなく、今も続く現実であり、忘れてはならない教訓である。
そんな日に飛び出した無神経な発言は、ただの失言では済まされない。災害を経験した地域にとって、「地震」は記憶であり、傷であり、今を生きる人々の生活そのものだ。
“言葉の力”を問うべきは政治家自身
政治家の発言は、時に政策以上に社会に影響を与える。選挙、政局、支持率――その文脈で災害に言及することの危うさは、幾度も繰り返されてきた。
今回のような発言を受けて、「またか」と感じた国民も少なくないだろう。
災害をめぐる言葉は、時に励ましとなり、時に暴力ともなる。
選挙前の緊張感の中であっても、いやむしろだからこそ、政治家の言葉には最大限の配慮が求められる。
今、問われているのは、失言をしたこと自体よりも、「その言葉に向き合い、どう反省し、行動に変えていくのか」である。
軽率な言葉が、政治と国民の距離をさらに広げてしまわないように――。