2025-07-04 コメント: 1件 ▼
立花孝志氏「黒人やイスラム系怖い」発言に支持の声も “言えない本音”を代弁する姿勢に注目
立花氏が街頭で吐露した「率直な感覚」
政治団体「NHK党」党首の立花孝志氏が、参院選兵庫選挙区の街頭演説で述べた一言が波紋を広げている。4日、兵庫県加古川市での演説中、「黒人とかイスラム系の人たちが集団で駅前にいると怖い」「今の法律ではどこかへ行けとかできない」と語った。
この発言に対し、差別的だという批判が噴出する一方で、「多くの人が内心で思っていても言えないことを代弁した」「政治家がこうした社会不安に真正面から向き合う姿勢が必要」とする声もあり、SNSを中心に意見が二分している。
「差別ではなく“本音”だと思う。正直な感覚じゃない?」
「誰も言わないけど、怖いと思うこと自体は普通だろ」
「建前ばかりの政治家より、よほど信頼できる」
「こういう感覚を無理に押し殺すほうが社会に歪みを生む」
「現実に目を背けず語る政治家がいてもいい」
タブーに切り込む政治家の役割とは
立花氏の発言の背景には、急速に進む都市部での外国人増加と、それに伴う生活環境の変化がある。駅前や繁華街で、異なる文化や価値観を持つ集団と日常的にすれ違う中、「見慣れない」「話しかけづらい」「怖いと感じる」といった感覚を抱くことは、決して異常ではない。
しかし、こうした感情を口にした瞬間に「差別」と決めつけられてしまう現代社会に対し、立花氏はあえてその“空気”に反発したともいえる。演説の中で語られたのは、法制度上の限界と社会的現実とのズレを指摘したものであり、少なくとも無責任な憎悪扇動とは一線を画している。
人々の心の奥にある“不安”や“違和感”にフタをするのではなく、そこに目を向け議論を喚起することこそ、政治家の重要な役割である。立花氏の発言は、その点で重要な問題提起だったと見る向きもある。
「言論封殺」の空気こそ危険?
現代の日本では、特定の話題を公に語ること自体がタブー視されやすくなっている。「外国人」「移民」「治安」などのワードに対して、少しでも否定的な意見を述べれば、すぐに差別主義者のレッテルを貼られてしまう風潮がある。
だが、そのような空気こそが、かえって社会の分断や摩擦を深める要因となっているのではないか。「怖いと思ってはいけない」「違和感を覚えてはいけない」と感情の表明を押しつぶすのではなく、「なぜそう感じるのか」「どうすれば共生できるのか」と議論を深める場が求められている。
立花氏はその“火の粉”を自らかぶり、口にすることで、無関心だった層にも一石を投じた。政治家とは、綺麗事を並べる存在ではなく、時には不快な現実を語る存在であるべきではないか。
問題提起としての意味と、今後の議論
立花氏の発言は、今後の日本社会が直面する「多文化共生」の課題に対して、率直な問いかけを投げかけている。確かに、言葉の選び方には慎重さが求められるが、それと同時に、表現の自由や感情の自由が過度に制限される社会もまた健全とは言い難い。
外国人住民の受け入れを進めるのであれば、文化や慣習の違いによって不安を抱く側の声にも、誠実に耳を傾ける必要がある。そのためには、今後の法整備や地域の治安対策、多文化教育の見直しといった具体的な政策議論に繋げることが大切だ。
立花氏の発言をきっかけに、日本が表面だけの「共生」ではなく、現実に根ざした「共感と理解」のある共存社会を目指せるかが、今後の重要なテーマになる。