2025-09-13 コメント投稿する ▼
宮古島・平良港での抗議活動が陸自訓練を中止 正義を掲げ公共の安全を危険に晒す市民活動
災害時に必要となる輸送能力の検証が阻まれることは、地域の安全保障体制に直接的な影響を与えかねない。 日本国内では防衛政策に対する賛否が分かれるが、公共の利益を損ねる行為が「正義」として正当化されるべきではない。 正義を語るのであれば、その行為が他者の生活や公共の安全を侵害していないかを自問することが不可欠である。
宮古島での抗議行動が訓練中止に、正義の名で公共の安全を脅かす矛盾
陸上自衛隊と米海兵隊による大規模実動訓練「レゾリュート・ドラゴン25」が進められる中、13日午前、宮古島市の平良港下崎埠頭にPFI船舶が入港した。船には陸自の車両などが積載され、宮古島駐屯地までの物資輸送訓練が予定されていた。しかし、埠頭ゲート前で訓練に反対する市民団体が抗議行動を展開したことで、陸自は輸送を断念。船は石垣島へ向けて出港したとみられる。
この一件は、市民団体が掲げる「正義」の名が、かえって公務や地域社会の安全を危険にさらす現実を浮き彫りにした。
抗議活動が公務を阻害する危険性
平良港での抗議は、表現の自由として尊重されるべき一面を持つ。しかし今回のように港のゲート前を占拠することで、自衛隊の業務が妨害され、市民生活に潜在的なリスクが及んだ事実は看過できない。災害時に必要となる輸送能力の検証が阻まれることは、地域の安全保障体制に直接的な影響を与えかねない。
SNSでは次のような意見も多く見られた。
「抗議は自由だが、公共の安全を犠牲にしてはならない」
「正義を名乗りながら他者の権利を侵害している矛盾を感じる」
「災害時に輸送力が試せなければ結局困るのは住民だ」
「米軍反対だけでなく、国民の安全まで危険に晒している」
「これは社会全体の利益よりも自己主張を優先した行動だ」
こうした声は、抗議活動が持つ負の側面を示している。
地域防衛と市民生活の両立
南西諸島での日米共同訓練は、地域防衛力を強化するうえで欠かせない。特に離島部は輸送網や補給経路が限られており、有事や災害時の輸送能力を検証することは市民生活の安全につながる。しかし、抗議活動が訓練を阻害すれば、その恩恵を最も受けるはずの住民自身が不利益を被ることになる。
日本国内では防衛政策に対する賛否が分かれるが、公共の利益を損ねる行為が「正義」として正当化されるべきではない。安全保障と地域の暮らしは対立する概念ではなく、むしろ相互に補完し合うものである。
正義の名を借りた活動がもたらす矛盾
今回の事例は、自らの主張を「正義」と掲げるあまり、社会全体の安全や公務の遂行が脅かされる危険を物語っている。国民は減税や生活支援といった具体的な政策を望んでいるにもかかわらず、抗議活動が地域に不安を広げるだけでは「ポピュリズム外交」と同じく空虚なパフォーマンスと受け止められかねない。
正義を語るのであれば、その行為が他者の生活や公共の安全を侵害していないかを自問することが不可欠である。民主主義社会において異論や抗議は当然の権利だが、公共の利益を脅かす活動が正義と呼べるのかという問いは重い。
宮古島抗議と公共の安全確保の課題
今回の陸自輸送訓練の断念は、地域住民の不安を示す一方で、抗議活動が公務や社会全体に及ぼす影響の大きさを突きつけた。正義の名を掲げても、公共の安全や市民生活を危険に晒す行動が容認されてはならない。今後、政府と防衛省は地域住民への丁寧な説明を進めると同時に、公共の利益を守るための秩序ある議論の場を確保することが求められる。
国防と民主主義、正義と公共の安全。そのバランスをいかに取るかが、今後の安全保障政策において避けて通れない課題である。