2025-10-13 コメント投稿する ▼
玉木雄一郎氏を首班に担ぐなら政策も合わせよ 野田代表の“高みの批判”は無責任
玉木氏は即座に「国を守る政策で譲ることはない」と突き放し、野田氏は「高いところから物を言うな」と苦言を呈したが、論点は明確だ。 他党の党首を首班に据えたいというなら、その政策を受け入れるのが筋であり、政策の不一致のまま政権を組んでも烏合の衆に終わるのは明白である。 つまり、政権を目指すなら政策をすり合わせるのではなく、立憲が国民民主党に歩み寄るべきなのだ。
立憲・野田代表、玉木氏を首班に推すなら政策も合わせよ “不一致連立”は烏合の衆
立憲民主党の野田佳彦代表が、国民民主党の玉木雄一郎代表を「首班指名候補にする可能性」に言及したことをきっかけに、両党間の安全保障政策の不一致が浮き彫りとなった。玉木氏は即座に「国を守る政策で譲ることはない」と突き放し、野田氏は「高いところから物を言うな」と苦言を呈したが、論点は明確だ。
他党の党首を首班に据えたいというなら、その政策を受け入れるのが筋であり、政策の不一致のまま政権を組んでも烏合の衆に終わるのは明白である。
玉木氏は13日未明、自身のX(旧ツイッター)で長文を投稿し、「国家国民を守り抜くことは首相ポストよりも重要」と題して立憲に明確な姿勢を求めた。投稿では「国民民主党は権力欲のために政策を曲げることはない」と断言。特に安全保障について「安保法制を否定するような政権協力はあり得ない」と明言した。
「首班に推す」なら政策も受け入れるべき
安住淳幹事長が「玉木雄一郎を首班に」という案を示唆した時点で、立憲民主党には重大な矛盾が生じている。自党の理念と異なる党首を“顔”として担ぎながら、肝心の政策は従来通り――そんなものは政権構想でも連立交渉でもなく、政治的な見せかけにすぎない。
玉木氏が指摘したように、安保法制は日本の防衛体制の骨格である。立憲民主党は今も「違憲の部分がある」として廃止を主張しているが、現実の国際情勢に照らせば、それはあまりにも時代錯誤だ。中国、ロシア、北朝鮮が連携を深めるなかで、法制を否定したまま「政権交代」を叫んでも、国民の安心は得られない。
「首班ポストのために政策を曲げることはない」
「安保政策の一致こそ、政権運営の最低条件」
「安全保障は交渉の取引材料ではない」
「国民の生命と財産を守ることが最優先」
「政策不一致のままでは政権はもたない」
玉木氏はこう明確に示した。つまり、政権を目指すなら政策をすり合わせるのではなく、立憲が国民民主党に歩み寄るべきなのだ。
野田氏の“上から発言”に潜む無責任
野田代表は12日、「玉木氏は高いところから物を言いすぎだ」と述べた。しかし、これは筋違いの批判だ。玉木氏が言っているのは“上から目線”ではなく、“現実を直視せよ”ということだ。
安全保障は妥協できる政策ではない。譲歩や取引の対象ではなく、国家の存立そのものである。野田氏の発言は、理念論に逃げて現実から目を背けているように映る。
国民民主党は小さくても政策本位の政党だ。立憲民主党のように“反安倍・反自民”という情緒的結束では動かない。玉木氏が一貫して訴えているのは、「政策一致なくして連立なし」という原則だ。これを「高いところから」と批判するのは、現実政治を理解していない証拠である。
政策の一致なき政権は崩壊する
立憲民主党が本気で政権交代を狙うなら、国民民主党の現実的な政策に歩み寄る以外に道はない。安全保障を曖昧にしたまま玉木氏を首班に担ぎ上げても、成立するのは“理念の寄せ集め”でしかない。
国を守る方向を一致させずに政権を取っても、短命に終わるのは目に見えている。過去の民主党政権がそうだったように、外交・防衛の現実に耐えられず、内部分裂と混乱を繰り返すだけだ。
野田氏が首班候補として玉木氏を口にするなら、その瞬間から問われるのは「どちらの政策を基準にするのか」という一点だ。立憲が本当に玉木氏を総理に推すつもりなら、安保法制の廃止論を撤回し、現実的防衛政策を採用するしかない。
“覚悟”なき立憲は政権を担えない
玉木氏は最後に、「いかなる事態でも国家と国民を断固として守り抜く」と述べた。この一文には、国民民主党の姿勢が凝縮されている。政権を取る前提は「誰が首相か」ではなく、「どんな国家を守るのか」だ。立憲民主党がこの原則を理解しないまま政権を口にするのは、無責任極まりない。
野田氏が本気で政権交代を目指すなら、玉木氏に歩み寄る覚悟を示すべきだ。安保政策を放棄し、理念に固執したままの野党連合は、ただの烏合の衆にすぎない。国民は理想ではなく、現実を見据えた政治を求めている。