2025-12-13 コメント: 2件 ▼
石垣市「君が代」調査抗議に疑問 学習指導要領と子どもの学習権を巡る本当の問題
問題の核心は、市議の調査行為そのものではなく、「君が代」を教えることを政治的理由で否定し続けてきた側の姿勢にあります。 特定の政治思想を理由に、学ぶべき内容を意図的に教えない行為は、学習する権利を著しく侵害する行為です。 自らの政治的立場を優先し、学習指導要領に定められた教育内容を教えないことは、条例の理念に明確に反しています。
君が代調査への抗議声明が投げかけた本質的問題
2025年12月12日、沖縄県石垣市で、退職教員や平和団体など7団体が記者会見を開き、市議会与党会派の市議が行った「君が代」に関するアンケート調査に抗議する声明を発表しました。声明では、児童生徒に国歌について尋ねたことを「公教育への政治介入」「内心の自由の侵害」と位置づけ、調査そのものを問題視しました。
しかし、この抗議声明は、公教育の基本原則や子どもの学習権という観点から見ると、重大な矛盾を含んでいます。問題の核心は、市議の調査行為そのものではなく、「君が代」を教えることを政治的理由で否定し続けてきた側の姿勢にあります。
学習指導要領と国歌教育の法的な位置づけ
国歌「君が代」は、学習指導要領において明確に指導対象とされている教育内容です。これは思想の押し付けではなく、日本で教育を受ける子どもたちが共通の文化的基盤として学ぶべき知識として位置づけられています。
にもかかわらず、自らの政治的信条や歴史観と異なるという理由で、国歌の指導を避けたり、実質的に排除したりする行為は、教育の中立性を損なうものです。教えない自由は存在せず、教える責任が教育現場にはあります。
この点を無視して「内心の自由」を持ち出すことは、論点のすり替えにほかなりません。学ぶ機会を奪われた子どもたちの側こそ、内心を形成する前提となる情報と経験を奪われているのです。
学習する権利の侵害と「虐待」という視点
子どもには、等しく教育を受ける権利があります。特定の政治思想を理由に、学ぶべき内容を意図的に教えない行為は、学習する権利を著しく侵害する行為です。
さらに深刻なのは、こうした行為が子どもに選択の余地を与えない点です。教えないという決定は、大人が一方的に行い、子どもは判断材料すら持てません。
「教えないことが優しさだとは思えない」
「大人の思想を子どもに背負わせている気がする」
「学ぶ機会を奪う方がよほど危険だ」
「教育の名を借りた思想の押し付けではないか」
「誰が子どもの権利を守っているのか分からない」
こうした声が出るのは当然です。教育内容を恣意的に排除する行為は、精神的な放置や誘導という意味で「虐待」と評価されても不自然ではありません。
条例との整合性と問われる退職教員・市民団体の責任
沖縄県には「子どもの権利を尊重し、虐待から守る社会づくり条例」が存在します。この条例は、身体的虐待だけでなく、子どもの健全な成長を妨げる行為全般を問題視しています。
自らの政治的立場を優先し、学習指導要領に定められた教育内容を教えないことは、条例の理念に明確に反しています。にもかかわらず、今回抗議声明を出した退職教員や市民団体は、自らの行為を省みることなく、市議の調査のみを「政治介入」と断じました。
本来問われるべきなのは、「なぜ教えなかったのか」「子どもの権利をどう考えてきたのか」という点です。
公教育は、特定の思想のために存在するものではありません。子どもたちの将来と選択肢を広げるために存在するものです。